- オフィス探しの第一条件は立地
インターネット広告の代理業はクライアントや外部スタッフなど社外との交流がビジネスの基本。このため大手町や丸の内を中心とした都心のビジネスエリアに近いことが絶対条件だった。 - 移転を機会に社内文化を強化
急成長して大きくなった組織に再度活力を入れて、オプト文化の原点に戻ることも移転の目的。よって、今回の移転を良い機会として大幅な組織変更も同時に行った。 - 神保町という「穴場」
大手町にも近い神保町は、竹橋駅も含めると東京メトロの半蔵門線と東西線、都営新宿線と3本の地下鉄を使える便利な立地。若い社員が多い会社にとっては周囲に利用しやすい飲食店が多くて便利なほか、大手町に比べて借り増しもしやすく、拡張ニーズにもフレキシブルに対応しやすい。 - ワンフロアオフィスは絶対ではない
ワンフロアに集約したフラットオフィスは社内コミュニケーションの活性化に効果的だ。しかし1,000坪クラスになると横の移動にも限界が生じる。上下のフロアに分かれていても、その間の移動を促進できれば、ワンフロア300~500坪程度のオフィスでも充分。ただし、これは組織の性格にもよるので会社ごとにニーズは異なる。 - ビルのイメージも重要なポイント
本社オフィスを置くならビルから受ける印象は非常に重要。特に来客の多い会社では、開放感のあるエントランスを持つビルを探すべき。 - オフィスの美しさとは機能美である
オフィスのデザインを考えていくと、機能をどうやって形にしていくかということになる。そして求める機能は組織ごとに異なるので、会社によって美しいデザインも変わってくる。オプトの場合は若くて元気のいい社員が中心になった組織であるため、使い方を限定しないようなシンプルなオフィスデザインを採用。 - フレキシブルだからアドレスを明確に
成長企業では組織の変動に対応できるフレキシブルなオフィスをつくる必要があるが、その分、場所ごとの性格付けを明確にしておかないと最初のデザインコンセプトが崩れてしまう。「ここはこのためのスペース」と目に付くアイテムの採用や、天井を利用した表示などが効果的。 - オフィスに対して「横」のデスク配置
オフィスフロアの長辺に対し「縦」ではなく「横」にデスクを配列していくと、窓の位置による優劣が無くなるので着席の自由度が高くなる。また、島をずらしてレイアウトすることで変化に富んだ斜めの通路を実現できる。
「会社の顔」となる本社オフィスだからこそ
ビルの持つイメージは重要なポイントになる。
1994年 有限会社デカレッグスを設立し、FAXおよびテレマーケティング業を手がける。
1995年 株式会社オプトに社名変更。
1997年 eマーケティング事業に進出。
2000年 インターネット広告代理事業に本格進出。
2004年 ジャスダック上場。
2005年 株式会社電通とeマーケティング分野全般における業務提携。
2007年 株式会社電通と資本・業務提携を強化。
2008年 インターネット広告代理で市場シェアNo.1になる。キャンペーン企画およびデータ分析の専門部署を設置。
株式会社オプトは拡大するインターネット広告市場において最も成功している企業の一つだ。沿革を見てわかるように、わずかな期間に事業も組織も急激な成長を遂げている。
急成長した組織に再度活力を入れて、オプト文化の原点に戻ることも必要だと思っていたので、オフィスの拡張移転は常に検討の対象になっていたという。
「今年4月までの3年間、大手町にあるビルに本社オフィスを置いていました。入居したときにはその後の従業員数の増加も計算に入れて1,000坪ほどのスペースを確保したのですが、実際にはすぐに手狭になってしまったのです」
こう語るのは、今回のオフィスリニューアルプロジェクトで全体指揮を執った執行役員の山縣泰彦氏だ。
「旧入居ビルは1958年竣工のため、空調などインフラ面で少し不満を感じたものの、日本を代表するビジネスエリアにあってワンフロアで広い面積を借りられる貴重なビルでした。しかし、内部はもちろん、周辺のビルを調べても簡単に増床できるスペースはなく、フレキシビリティには欠けます。そんなことから、契約期間が終わるのを機会に、新しいオフィスへの移転を考え始めたのです」(山縣氏)
そして2008年の春ごろから本格的に物件探しを始めたのだが、そのときこだわったのは立地だった。
「ネット広告代理事業、テクノロジー事業、ソリューション事業、コンテンツ事業と、私たちの手掛けるビジネスは全て、お客様の要望を伺ってから形にしていくものになります。したがって、多くの企業と交流するのに便利な場所、具体的にいえば大手町や丸の内に近いことが絶対的な条件だったのです」(山縣氏)
そんな思いもあり、新オフィスを探し始めた当初、山縣氏は毎日のようにこのエリアを歩き回っていたという。
「会社の顔になる新本社オフィスですから、資料だけで判断せず、必ず、自分の目で確かめようと、昼休みを利用して候補となるビルを全て訪ねて回ったのです」(山縣氏)
最初は大手町を中心に、やがて同心円上に範囲を広げながらチェックを続けていくが、なかなかイメージに合ったビルは見つからない。
「総面積として1,300坪以上は必要でした。しかし大手町や丸の内では1棟のビルでそれだけのスペースを確保するのは難しく、半分諦めかけていたころ、神保町でこのビルに出会ったのです」(山縣氏)
それが一ツ橋SIビルだった。
「地下鉄の神保町駅の出口から徒歩1分、竹橋駅からも約5分という好立地はどこに行くにも便利で、求める条件は充分に満足できるものでした。ただそれ以上に、このビルを初めて目にしたときの印象が、移転を決意させたのです」(山縣氏)
その印象とは、「入りやすいビルだな」というものだ。
「毎日毎日、多くの建物を見ていると、ひと目でいいビルかどうか分かるようになってきます。このビルは道路で囲まれた敷地に建ち、しかもエントランスがガラス張りであるため、外からも見通せて開放的なイメージがするのですね。私たちの会社はお客様や協力会社のスタッフなど多くの人が出入りしますので、『入りやすさ』はそのまま経営上のメリットにつながります」(山縣氏)
ちなみに、一ツ橋SIビルの竣工は1979年(昭和54年)と決して新しいビルとはいえないが、定期的にリニューアル工事を続けてきたのか、年数は全く感じられない。
「もともと自社ビルとして設計され、使われてきたためか、空調や電源などのインフラも時代に合ったものになっていましたし、全体に使い勝手が良さそうなビルだと思いましたね。それだけに、すぐに『ここしかない』と、移転計画を具体的に進め始めたのです」(山縣氏)