国立国会図書館国際子ども図書館(旧帝国図書館)

オフィスマーケット 2003年11月号掲載

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※ 記事は過去の取材時のものであり、現在とは内容が異なる場合があります。

旧「帝国図書館」として1906年竣工、1929年に大閲覧室が増築され、戦後は「国立国会図書館」の分館として使われていた。その後、1998年に「子どもの本専門館」として建築家安藤忠雄氏が日建設計の技術者らと共に再生。保存・復元すべき部分と新たに改造した部分をいかに調和させたかを関係者に伺った。

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安藤忠雄(建築家)

1941年、大阪生まれ。
独学で建築を学び、1969年に安藤忠雄建築研究所を設立。
環境との関わりの中で、新しい建築のあり方を提案し続けている。

代表作に「六甲の集合住宅」「光の教会」「大阪府立近つ飛鳥博物館」「淡路夢舞台」「南岳山光明寺」「FABRICA-ベネトンアートスクール」「アルマーニ・テアトロ」「ピューリッツアー美術館」「大阪府立狭山池博物館」「司馬遼太郎記念館」「兵庫県立美術館」「国際子ども図書館」「フォートワース現代美術館」など。
79年、「住吉の長屋」で日本建築学会賞、85年アルバァ・アアルト賞、93年日本芸術院賞、95年プリツカー賞、02年AIAゴールドメダル、京都賞、ローマ大学名誉博士号、同済大学(上海)名誉教授など受賞多数。91年ニューヨーク近代美術館、93年パリポンドゥーセンターにて個展開催。
イェール、コロンビア、ハーバード大学の客員教授歴任。97年から東京大学教授、現在、名誉教授。著者に「建築を語る」「連戦連敗」など。
阪神・淡路震災復興支援10年委員会の実行委員長として被災地の復興に尽力する。
また、瀬戸内海の破壊された自然を回復するため、弁護士の中坊公平氏と共に「瀬戸内オリーブ基金」を2000年に設立。

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再生した"幻の図書館"――明治の威信から平成の文化基盤へ

"アレクサンドリア図書館"という名を耳にしたことがあるだろうか。学府"ムセイオン"と並んで、古代エジプトのアレクサンドリアをヘレニズム時代最高の学問都市としらしめたビブリオテケ(図書館)。蔵書は50万巻とも70万巻、90万巻ともいわれ、4世紀末の異教弾圧によって焼き払われるまで世界最大の規模を誇り続けていた。
さて、一方、20世紀初めに明治日本が計画した「帝国図書館」とはどのようなものであったのか。明治32(1899)年にまとめられた計画案の概要を見ると、収蔵可能書籍120万冊、閲覧室730席、延床面積2万平方メートルとある。これこそ、今回「国立国会図書館国際子ども図書館」として保存・再生された建物の幻に終わった完成形だった。
文部技師で建築課長であった久留正道の下で、文部技師の真水英夫が設計を担当した。東洋一、いや世界一の図書館建築を目指し、中庭を囲むロの字形の平面を持った地下1階、地上3階の堂々たる古典主義様式の建築が構想された。真水らは設計の参考を米国に求め、シカゴのニューベリー図書館などをモデルにデザイン計画を練ったと伝えられている。
明治33(1900)年3月に第1期工事として東側ブロックを着工したが、日露戦争等の影響で予算追加が認められず、規模を縮小して明治39(1906)年3月に竣工・開館とした。南に面する大閲覧室を含む本来の第1期工事分が完工するのは、開館から23年後の昭和4(1929)年の増築工事後である。それでも、実現したのは全体のおよそ3分の1に過ぎず、第二次世界大戦後に書庫の増築が実施されたものの、明治政府が威信をかけて構想した「帝国図書館」は遂に完成することはなかった。
今に残る建物は、鉄骨補強煉瓦造と呼ばれるもので、赤煉瓦をセメントモルタルで接着して積んだ壁と鉄骨の梁が建物を支える基本構造をとっている。ただし、赤煉瓦は表面に露出させず、東側と北側には白丁場石(白色安山岩の1種)とベージュ色の"ゴマ掛け煉瓦"が、西側の中庭側には白丁場石と"白薬掛け煉瓦"が、構造体の赤煉瓦壁に食い込むように一体化して積まれて外壁をかたちづくっている。煉瓦の積み方も、東と北側が"フランス積"であるのに対して、西側は"イギリス積"というように変化が見られる。
昭和初期に増築された南側部分は、鉄筋コンクリートの柱と梁による構造体で、技術的には基本的に現代と変わらないものだ。外観デザインは明治期の部分を踏襲している。石に見える部分に薄い人造石を用い、煉瓦ではなくタイル貼り仕上げ。屋根を支える小屋組も明治期が木造であるのに対して昭和期は鉄骨であるが、共に天然スレート葺で、棟と軒の部分は銅板を加工して造られ、統一感は見事に保たれて違和感はない。石と煉瓦を素材とする建築が成熟期を迎えた明治後期から、近代的な工法が世界的に広がり始めた昭和初期にかけての、建築の技術的な変遷を各所に見て取れることも、この建物の歴史的価値であり、大きな魅力の一つだといえる。
平成10(1998)年まで「国立国会図書館支部上野図書館」として、主に博士論文等の収蔵・閲覧に使用されていたこの建物に、再生への道を開いたのは、児童書専門の国立図書館設立を推進する機運の高まりだった。討議の結果、旧「帝国図書館」の建物を使用することとなったが、建物の現状は耐震安全性が不十分だった。とはいえ、建物そのものに補強を施せば、大きな歴史的価値を備えた内外の意匠が損なわれる結果となる。
そこで採用されたのが"免震レトロフィット工法"である。これは、既存の建物をまるごと地盤面から切り離して免震装置を設置し、揺れの影響を3分の1~5分の1にまで低減させるというもので、建物本体への補強工事を最小限に抑えることができる。この建物においては、地下1階部分の壁を撤去して積層ゴムアイソレーターと鉛ダンパーを設置する手法が採られ、明治期建築の耐震対策に新たな指針を示したわが国初の事例としても注目される。

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昭和4年 第二期工事完成時の全景

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同時に"子どもの本の専門図書館"という基本コンセプトに則って、建築家・安藤忠雄氏が株式会社日建設計の技術者らと共に、積極的な改修・増築に取り組んだ。保存・復元すべき部分と、機能に合致した改造部分を、いかに調和させるか。過去の遺産を現代から未来の子どもたちへ手渡すために、どのような空間が望ましいのか――。
再生・開館した図書館からは、プロジェクトに携わった人々の意欲が十分な手応えとして伝わってくる。威厳に満ちた明治建築を15度傾けた角度で貫くエントランスからのガラス空間は、過去から現在、現在から未来へと開かれた通路とも感じられる。また、3階の窓をミュージアムへ通じる扉に改造し、ガラスに覆われた開放的なラウンジを増築したアイデアも秀逸である。単なる保存を超え、真の"再生"を企図した安藤氏らの意気込みが、完成した建物の随所から伝わってくる。

鉄骨、コンクリート、ガラスといった現代建築の代表的素材のコラボレーションが、石と煉瓦の明治建築を支え、抱きかかえるようにして新しい一個の建築作品を形成している。この建物が、子どもたちに"古さ"を意識させることはほとんどないだろう。しかし、無意識に目にし、触れ、呼吸した空間の"歴史"は、確実に彼らの記憶の中に刻み込まれるに違いない。
そして、おそらくは、それこそが図書館という存在、ひいては書物という存在が体現する、最も重要な"意味"なのではないだろうか。

竣工前後 ―― 歴史と世相

明治33年
(1900)
  • 3月 帝国図書館第1期工事着工。
明治34年
(1901)
  • 1月 オーストラリア連邦が成立する。
  • 12月 第1回ノーベル賞。レントゲン(物理学)、デュナン(平和賞)など。
明治35年
(1902)
  • 1月 日英同盟協約が調印される。
明治36年
(1903)
  • 12月 ライト兄弟が複葉機で初飛行に成功する。
明治37年
(1904)
  • 2月 日露戦争が始まる。
  • 4月 全国の小学校で国定教科書の使用が始まる。
明治38年
(1905)
  • 9月 ポーツマス条約調印。日露戦争終結。
    この年、アインシュタインが相対性理論を発表。

明治39年
(1906)

  • 3月 当初計画を縮小した帝国図書館が竣工・開館する
    (1929年、第2期工事完成)。

建物概要
所在地 東京都台東区上野公園
構造 鉄骨補強煉瓦造
増築部鉄筋コンクリート構造
規模 地下1階・地上3階
敷地面積 5,433.76
延床面積 6,671.83(建築基準法による)
収蔵能力 40万冊
設計・管理 安藤忠雄建築研究所
株式会社日建設計(井上泰介氏)
国土交通省関東地方整備局営繕部
保存指導 坂本勝比古(神戸芸術工科大学名誉教授)
施工 株式会社鴻池組(長瀬弘幸氏)

多様化する名建築保全の試み――保存部分を支える改修と復元

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国立国会図書館国際子ども図書館
企画協力課
企画広報係長

大塚晶乙氏

文化を次代へと手渡すために――"意味"を伝達する"空間"

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今回の増築部分である3階ラウンジ。外壁の旧態を間近に見ることができる

"東京都選定歴史的建造物"に指定されている外観は、可能な限り明治期の風合いを残すように保存・復元された。
白丁場石と"ゴマ掛け煉瓦"による東と北側の壁は洗浄と一部補修のみとしたが、開口部のサッシは現代の図書館としての空調条件を満たさないため、複層ガラスを嵌めたアルミサッシにリニューアルした。ただし、単なる置換ではなく、元の建具にあった彫刻やパテの形状までアルミニウムで再現してあるという。屋根は天然スレート素材による葺き替え、銅板製の棟と軒飾りは劣化が激しいため作り直した。避雷針も当初の素材の鋳鉄をアルミに代えて作り直した。
今回の増築により屋内化された西側の壁では3ヶ所で創建時の檜材の窓建具を保存し、ラウンジから、白丁場石と表面部分のみに釉薬をかけて焼いた"白薬掛け煉瓦"とを組み合わせた工法の外壁旧態を間近に見ることができる。

「改修・復元設計にあたった建築家の安藤忠雄氏、日建設計の設計主管・井上泰介氏、そして施工を担当された鴻池組の長瀬弘幸部長......みなさんの力のおかげで、図書館としても素晴らしい建物になったと感じています。明治の設計者が『帝国図書館』に傾けた気概を甦らせ、次代へと手渡していこうという現代の匠たちの意志の賜物といえるでしょう」

こう語る大塚晶乙氏自身も、終始一貫してこのプロジェクトの世話役を務め、この建物の" 再生"に情熱を注いだ一人である。敷地面積5,433.76平方メートル、延床面積6,671.83平方メートル、収蔵能力40万冊を誇る初の"子どもの本専門の国立図書館"――日本のみならずアジア全域をカバーする児童書の情報センターとしての本格的な活動が期待されている。設計・監理担当は、安藤忠雄建築研究所、株式会社日建設計、国土交通省関東地方整備局営繕部。施工は株式会社鴻池組が担当した。
内部における保存・復元部分の白眉は、天井や壁の漆喰装飾である。今回の改修で、3階の「本のミュージアム」(旧「普通閲覧室」)、2階の「第二資料室」(旧「特別閲覧室」)、1階の「世界を知るへや」(旧「貴賓室」)、そして「大階段」とそれに続く廊下の漆喰仕上げの壁、天井、装飾を明治の創建時の姿に甦った。
もともと創建時の漆喰内装はほとんど失われずに残っていたが、度重なる改修を経て、漆喰の上は何層にもペンキ塗装が施され、その塗装も各所で剥離しているという状態だった。そのため、まずペンキ塗装を手作業で剥がし、新たに表面を漆喰で仕上げたのである。設備配管工事や鉄骨の耐火被覆などのために、一時的に撤去せざるを得なかった部分では"木摺り"という下地から復元してある。1階の「世界を知るへや」の天井中央部に施された鏝絵と呼ばれる職人技の装飾も、使用する漆喰を当時と同じ材料配合で再現して修復したという。
2階の「第二資料室」には、4本の漆喰仕上げオーダー(柱)がある。内部の鉄骨の柱と梁に耐火被覆を施すため、漆喰部分を一度撤去したところ、下地に竹を編んだ"竹小舞"と呼ばれる手法が使われており、それによって柱の微妙な膨らみが表現されていることがわかった。また、柱表面の立体的な装飾は、石膏の型に漆喰を詰め込み、硬化する前に型抜きして貼り付けるという手法によっていた。修復にあたっては、これらを同様の手法で復元することとし、技術の伝承にも役立つ結果につながった。
照明器具で創建時のものが残っていたのは「大階段」のシャンデリアのみだった。本体は真鍮製、ガラスシェードは現代の乳白ガラスとは異なるカリ石灰ガラスである。これと史料写真を参考にして、失われていた「本のミュージアム」の三つのシャンデリアを復元した。また「世界を知るへや」のシャンデリアも失われていたが、これは旧品が別に保存されていることが判明し、それを元に復元した。

「全般的な保存指導にあたられたのは、神戸芸術工科大学名誉教授の坂本勝比古先生です。創建以来100年以上の歴史を持つ古い建物ですが、例えば、戦時供出されたシャンデリアを取り戻して保管しているという方がまだご存命で、当時の内装についてさまざまに語ってくださるといった......そういう、歴史の受け渡しが可能なタイミングで着工できたことも幸運でした」

「第二資料室」のシャンデリア2灯も明治創建時には前記2室と似たデザインだったことが当時の写真で確認されたが、昭和の増築時に改められたものが現物として残っていた。そのため、明治期への復元は行わず、昭和期のものをクリーニング・一部復元して使用している。3階「ホール」(旧閲覧室)のシャンデリアと壁のブラケットも、同様に昭和期のものを再使用している。
明治期の威容を残す「大階段」の存在感は格別である。1階床から天井まで約20メートルの吹き抜けに、鋳鉄製の手摺が付いた階段が設置されている。階段本体も鋳鉄製で、裏面にはフローリング材が貼られている。子どもたちの落下防止と、手摺高を現代の基準に合わせるため、本来の手摺の内側にガラス製の壁と手摺を取り付けた。これによって、重厚な意匠を損なうことなくすべての人が安心して利用できるようになった。

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現在の閲覧室。丸柱は当時のものを再現しながら作りかえた

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3階のホール。シャンデリアと壁のブランケットは昭和初期のものを再使用している

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明治期の威容を残す大階段

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旧閲覧室。男性専用として使用されていた

建物内の随所に残る欅材の建具などは、創建当時のものを調整した上でそのまま使用しているというが、美しく磨き上げられた木肌はまるで新品のようだ。3階階段室のドアは開け閉めの音に配慮する目的で当初は蝶番を取り替えようとも考えたが、予算と技術両面の問題からそのままになったそうだ。その結果「音も保存」することになったわけである。

「"文化財"の指定を受けていなかったため、大胆な改修と保存・復元の両立が可能となりましたが、建築基準法の特例がないため、苦労も多かったようです。保存部分や復元空間のイメージを損なわないように非常灯や防災器具等を設置する工夫や、バリアフリー対策、空調設備の配置など、通常のオフィスビルとは比較にならないほどの多くのアイデアと手間が費やされました」

書籍にとどまらない所蔵資料の多様化、資料自体の老朽化による保存対策など、現代の図書館建築だからこそ考えねばならない問題も数多くあった。展示ケース内の照明に蛍光灯ではなく発熱がほとんどない光ファイバーを採用したこともその一例である。さらに、サービスの中心が子どもたちの利用に置かれるため、安全対策や環境対策にも細心の注意が払われている。「100年前の建物の保存」など当たり前という感覚の欧州からの来訪者も、保存の意義と活用の意義がこれほど見事に関連し合って機能している事例は珍しいと感嘆の声をあげるという。

子どもたちの利用ということに関連して、最後に、いささか"不粋"とも感じられるエントランスの鉄扉について質問してみた。普通はガラスなのにあえて分厚い鉄で造られた自動ドアである。すると「それは、建物に入る直前にくると中が見えないという設計した方たちのアイデアなんです。子どもがプレゼントを開ける時のわくわくした感覚を大切にしたいということで......」との答えが返ってきた。

鉄とガラスとコンクリートの「子どもたちへの贈り物」となった歴史的建造物。それが同時に、子どものための本の空間であるということを、設計者たちは十分に考え抜いていた。大人になったかつての少年少女たちも、この貴重な空間で、胸をときめかせた1冊と再会を果たしてみてはどうだろうか。

文:歴史作家 吉田茂
写真:国立国会図書館国際子ども図書館所蔵

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