「明治生命館」明治安田生命ビル街区再開発プロジェクト

オフィスマーケットⅣ 2005年9月号掲載

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※ 記事は過去の取材時のものであり、現在とは内容が異なる場合があります。

「明治生命館」はコリント式の柱やアカンサス模様の装飾が特徴的なビル。1930年の着工から3年半後にようやく竣工した。平成に入り、歴史的価値が高いことから「全館保存」が決定。所有者・設計者・施工者が共通で掲げた「残すための活用」とはどんなものか、詳細をお聞きした。

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リヴィング・ジュエル――歴史的建造物動態保存の新たなる指標

東京・丸の内の日比谷通りと馬場先通りに面した明治生命館は、地上8階・地下2階の鉄骨鉄筋コンクリート造。力強いコリント式のオーダー、それにアカンサス模様の繊細な装飾が不思議な調和を示す花崗岩の外壁――わが国様式建築の最高傑作と呼ぶにふさわしいネオ・ルネサンス・スタイルの壮麗な建築である。
かつてこの地には赤煉瓦の三菱二号館(明治28年竣工)が建っていた。新ビルを建設するにあたって岡田信一郎の案を採用したコンペの主査は、建て替えによって失われる"二号館"の設計者ジョサイヤ・コンドルを師に持ち、事実上の実務を担当した曾禰達蔵自身だったという。「竹中工務店」の施工で足掛け4年に及ぶ工事が進んだが、そのさなかに岡田が急逝。弟の捷五郎が後を受け継いで兄の遺作を完成させた。建築作品としての完成度もさることながら、重なり合う新旧建物の記憶、日本の近代建築を担った建築家たちの"魂のリレー"の記憶が、明治生命館という建物に深い陰翳を付与している。
その後、数十年の星霜を経たが、戦後の一時期米極東空軍司令部の接収を受けた以外は一貫してオフィスビルとしての本分を貫いてきた。平成の時代に入り、「歴史的建築物の保存と活用という文化保護の新たな観点に立ち、それを自ら実践することで、丸の内一帯の風格ある景観を守り、街の新たな活性化へ向けて貢献」するとして、所有者の「明治生命」(当時/現「明治安田生命」)は全館保存の英断を下し、平成9年に明治生命館は近代の大規模オフィスビルとして初めて国の重要文化財指定を受けた。

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洗浄によって本来の輝きを取り戻したアカンサス葉模様の装飾

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重要文化財である明治生命館を全面保存したうえで、その隣接地に超高層建築の再開発を両立させるこのプロジェクトは、平成11年に創設された「重要文化財特別型特定街区制度」の適用を受け、街区全体で1500%という容積率を実現することとなった。昨年8月に完成している明治安田生命ビル(設計「三菱地所設計」、地上30階・地下4階・塔屋2階)と明治生命館は陽光を透かすガラスの屋根で一体化され、本館部分も外壁洗浄・東面外壁破損部分の復元・内部機能強化等の改修工事が間もなく完了する運びである。(街区名称:丸の内MY PLAZA)
高層ビルと様式建築の共存という手法には、様々な見解もあることだろう。しかし、明治以後の短い歴史を常に呼吸しつつ変貌してきた丸の内のオフィス街に、ヨーロッパの古都と同様の景観保全を望むことは難しい。あり得べき最善の選択として、今後の歴史的建造物動態保存の指標として、今回の街区再開発は評価に値する試みだと考える。
洗浄によって本来の輝きを取り戻した石の外壁。くっきりとした柱頭飾の意匠が目にまばゆい。その内部には、新築の高層部と遜色のない機能と居住性が盛り込まれたテナントスペースが、新たな入居者の訪れを静かに待っている。重要文化財としての保存部分(1階店頭営業室、2階廻廊など)も竣工当時の採光を復活させるなどして、その歴史的な価値を改めて一般来訪者に示すこととなるだろう。歴史的建造物を"活用"することで"保存"するというテーマに対する一つの答えを、ここに見出すことができる。

"リヴィング・ジュエル(生きた宝石)"という言葉をご存じだろうか。イギリスで竜舌蘭やアロエなど観賞用の多肉植物を指す美称である。生きて、呼吸する名建築――明治生命館の改修成った姿に、敬意を込めてこの言葉を捧げたい。

竣工前後 ―― 歴史と世相

昭和5年(1930)
  • 8月 明治生命館着工。
昭和6年(1931)
  • 9月 満州事変勃発。
    • この年 ニューヨークにエンパイアステートビルが完成。
昭和7年(1932)
  • 4月 設計者・岡田信一郎没。
昭和8年(1933)
  • 1月 ドイツでヒトラー政権が誕生する。
昭和9年(1934)
  • 3月 明治生命館竣工。
  • この年 アメリカで時速160kmのディーゼル機関車が初登場。
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日比谷通りから見たコリント様式の列柱(明治生命館)

名建築へのオマージュ――記憶を継承するための試み

今回のプロジェクトが着工される以前、この街区には明治生命館に隣接して「三菱地所」設計による3棟のビルが建っていた。都市の記憶をたどる本企画として、やはり失われたこれらのビルについても言及しておきたい。
千代田ビルヂングは昭和36年に竣工した鉄骨鉄筋コンクリート造、地上9階・地下4階、横長窓を持つL字型平面のオフィスビルであった。明治生命新館は、本館に接続するように軒高を合わせて建てられていたもので、昭和43年の竣工という。意匠も本館を継承して違和感のないよう配慮されたが、これにより本館東面の外壁は塞がれて一部破損を余儀なくされた。
もう1棟の明治生命別館を合わせて3棟の建物を解体して、明治生命館の全面保存と明治安田生命ビル(丸の内MY PLAZA)の新築が行なわれたわけだが、まさしく「丸の内第一世代と言われる赤煉瓦の三菱二号館も含め、この街区にはレイヤーのように折り重なった都市の記憶が存在する」のだ。それだけに、新築部分の設計に当たっては"記憶の継承"を企図する配慮が随所になされることとなった。
ガラス屋根で覆われた高層ビルと明治生命館との間のスペースはパサージュとアトリウムとして機能するが、これは昭和30年代の「丸の内改造計画」による仲通り拡幅以前に存在した路地を復活させる試みでもあったという。陽光の射し込む開放的な空間は、人々の自由な通行を確保すると同時に、仲通りからアトリウム越しに皇居を望むという新たな景観を創出している。高層部も採光と眺望に配慮した空間を企図しており、外観デザインは明治生命館の外装石(岡山県北木島産)に似たイタリア産花崗岩を使用し、ファサードの特徴である列柱に近似した間隔で配列した。ディテールは現代的な仕様によるものの、これによって明治生命館と背後に聳える高層部の違和感が抑制され、軒高を合わせた低層部と合わせて、一つの街区としての調和的デザインを実現している。また、高層部4階会議室ロビーに解体された明治生命新館(当時)入口の装飾面格子(ブロンズ製)を移設するなど、直接的な"記憶の継承"も各所で図られた。
「一つの街区としての調和」は、明治生命館の改修工事においても十分に意識された。同館内部のテナントスペースは、明治安田生命ビルから熱源・電源を取り入れることで、現代のニーズを充たす機能性・居住性を確保している。また、大規模な屋上緑化を行なうことで、超高層ビルからの眺望や環境への配慮もなされた。その一方で、外観保存にかかわる窓のダブルサッシュ等は一切変更していない。取り外して洗浄してから再度設置したのだが、開閉など非常にスムースで建物としての質の高さを改めて認識させられたという。本体の歴史的意匠をできる限り活かした改修がテーマのため、内外装ともになるべく手を加えないリニューアルを心がけたという。大きな改修部分としては東側外壁(かつての新館との接続部)の復元が挙げられるが、幸い当時の設計図、図書や写真等の資料が残っていたため、より竣工時に近いかたちに戻すことができた。
この外壁補修には70年以前と同じ石が使用され、精緻な実測・解析等によって失われていた東側外観が見事に甦った。また、その過程で、敷地のずれから生じた目地割の不規則性を視覚的に調整した設計技術等の新発見も得られたという。ほかに、建物本体を傷めない洗浄の手法など、今回の改修で得られた知見の数々は、他の歴史的建造物保存に際しても重要な役割を果たすことだろう。
関係者誰もが「このような建物は今後二度と建てられない」と異口同音に語っていたことが印象深かった。ならば、名建築を"残す"ために積極的に"活用"するという視点は、これからいっそう重要性を増すはずだ。「建物は書割りではないのだから、外観と内部空間は一体として考えるべきです」(東京大学教授・鈴木博之氏)。最高の立地を誇り、基準階における直天井部分の高さ3.2メートルの快適なオフィス空間を内部に有する"重要文化財"は、ユーザーにとっても魅力的な存在ではないだろうか。多くの利用者が集い、可能な限りこの建物を長寿たらしめんことを願って止まない。

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明治生命館と明治安田生命ビルの間に設けられたパサージュ

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西側ファサードの窓と装飾(明治生命館)

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ガラス屋根で覆われた明治生命館と明治安田生命ビルを結ぶアトリウム

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明治安田生命ビルエントランスから見た明治生命館ファサード

写真:建築写真家/増田彰久
文:歴史作家 吉田 茂

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