- PCO業界のパイオニアとして環境衛生コンサルティングを展開する
- 社内横断的にプロジェクトチームを編成。理想のオフィスづくりに取り組む
- フリーアドレス、クリアデスクを実現。更なる働き方改革に挑戦中
- 社内および拠点間のコミュニケーションを活性化させるさまざまな仕掛け
- 今まで接点のなかった社員同士が偶発的な出会いで会話を生む動線設計
PCO業界のパイオニアとして
環境衛生コンサルティングを展開する
PCO(Pest Control Operator)とは人にとって有害である様々な害虫獣を管理・制御し、安全で安心して暮らせる環境を実現する業務全般を指す。日本におけるPCOの業界団体である公益社団法人 日本ペストコントロール協会(JPCA)が設立されたのは1968年11月15日(1972年3月に社団法人認可/2013年4月より公益社団法人に移行)。その約10年前に創業したイカリ消毒株式会社は、文字通り業界のパイオニアといえる存在である。
「当社は、海外で行われていた船舶の検疫業務にヒントを得て、港に入ってくる船舶や輸入品の消毒など感染症予防の会社として千葉県・千葉港で創業いたしました。社名の『イカリ』は船の部品である『錨』に因んだものです。その後、前回の東京オリンピック開催を控えた都内では、ビル建設が相次ぐと共に建築物の衛生管理需要が高まってきたため、1962年に東京へ進出し、江東区三好に本社を移転しました」(黒澤 学氏)
1960年代の高度経済成長期には、都心部でオフィスビルの建設ラッシュが起こった。これらのビルでは、「建築物における衛生的環境の確保に関する法律」(ビル管理法。東京都ではビル衛生管理法と略称する場合もある)によって、ネズミや衛生害虫の駆除が義務づけられている。ネズミには伝染病原菌を媒介するだけでなく、鋭い門歯が伸びすぎないように硬い物をかじる習性があり、配電線などをかじって火災の原因となることも多いからだ。同社はこのニーズに着目し、1969年に本社を新宿区へ移すと、以後は新宿駅周辺で移転をくり返してきた。
「現在では、不快害虫・衛生害虫の駆除をはじめとして、人が暮らすあらゆる空間の環境衛生コンサルティングを手がけております。かつての害虫駆除といえば、強力な殺虫剤を撒布するなどのやり方がほとんどでしたが、近年は人体への健康被害などの影響も配慮して、薬品を使わない防除方法が主流になってきています」(天満屋 雄太氏)
同社は、来たる2019年に創業60周年を迎える。北は北海道から南は九州・沖縄まで全国に、研究所を含めて100ヵ所近い拠点を展開。パートを含めた全従業員数は約1,000名に達する同社だが、働き方改革への取り組みの一環として、オフィス環境の整備が順次進められている。まずは「顧客と直接向き合い、最前線で活躍してくれている」地方営業所の職場環境改善から着手。現状約3分の2程度まで進捗しているという。
2017年2月には、複数の研究施設を集約して千葉県習志野市に「Life Creation Square(LCS)」を開設。同施設内では、研修ルームや企業ライブラリも設けられ、社内および社外向けのセミナーなども開催されている。ここでは何種類もの害虫獣を飼育しながら日々研究を続けている。
「同じ種類のネズミでも、生息する地域によって習性や耐性が違います。たとえば、新宿に生息しているネズミと八丈島のネズミでは、まったく違っています。都会のネズミは『スーパーラット』と呼ばれ、従来の薬剤の効かない強靭な肉体を持っているので、新たな防除方法の研究が進められています」(天満屋氏)
社内横断的にプロジェクトチームを編成
理想のオフィスづくりに取り組む
創業当時は10名弱でスタート。その後、業務拡大による人員の補充を進めてきた。旧本社オフィスでは133坪ほどの広さに約50名が勤務。現在、新本社オフィスの面積は2倍以上となる300坪となり、移転から約2ヵ月後の2017年7月末時点で100名近くが勤務している。
「旧本社オフィスは、入居当初はワンフロアで契約していたのですが、有効面積の見直しを行い、半分の面積を解約しました。応接室は1部屋だけ。それも奥まった位置にあって、お客様をご案内するには、商品サンプルが山積みになった雑然とした社内を通過しなければなりません。社内で打ち合わせできるようなスペースもなく、窓すらありませんでした。そこで、移転を機に、風通しの良い会社にしたいという強い想いが高まったのです」(黒澤氏)
本社移転を望む声は以前からあったが、2016年夏頃から移転計画が徐々に具体化してきた。「定期的に三幸エステートさんから情報をいただいていたのですが、9月以降に本格的に300坪前後の候補物件を見学して回りました。地域も限定せずに品川、大崎、西新宿など広範囲で探しました」(黒澤氏)
「移転先が正式に決定したのは2016年11月末のことです。現在のこのビルを会長と社長が内見したとき、窓からはっきりと富士山が見えたことが決め手の一つになりました」(天満屋氏)
それから黒澤氏主導の下、取締役総務統括部長が旗を振り、各部署から社内横断的にメンバーを集めて8名からなる移転プロジェクトチームを編成。新本社オフィスのコンセプトづくりに着手し、翌2017年1月中旬頃から本格的に始動した。
新オフィスのコンセプトは「コミュニケーションを強化し風通しのいい社風に」「新しい働き方の追求」。プロジェクトチームは協力会社の主催するワークショップに参加したほか、積極的にオフィス見学を行ったという。そして3月末に内装工事を発注、5月末に移転を完了させた。
「移転日は創立記念日(6月26日)に合わせてはどうか、との声もありましたが、各種条件面の関係でこの日に落ち着きました。当初の予定より1ヵ月も短縮できたことはプロジェクトメンバーの努力の賜物です」(黒澤氏)
フリーアドレス、クリアデスクを実現
更なる働き方改革に挑戦中
新本社オフィスで実現したかったことについて、黒澤氏は次のように語る。
「『世界一のPCOとしてありたい姿』を目指し、旧オフィスの抱えていた問題点をすべて解消すること。トップ層、特に代表取締役社長の黒澤敬からは『部屋の奥まで見渡せるようなオフィスにしてほしい』『あちこちで笑いが起きるようなオフィスにしてほしい』という要望を聞いていて、関係者全員が共感していました」(黒澤氏)
全体が見渡せるとは、つまり全員の顔がパッと見てわかるということ。旧オフィスでは、高く積み上げた荷物などが視界を遮っていた。特に場所をふさいでいたのはファイルで綴じた紙資料類だ。60年近い同社の歴史の詰まった膨大な量のファイルを電子化する必要性は感じていたものの、ほとんど手をつけられない状態だったという。
「移転を契機に紙資料は大幅に削減できました。今後もペーパーレスに向けて段階的に社内で取り組んでいきます」(黒澤氏)
ペーパーレス化は今なお現在進行形のテーマではあるが、こうした従業員の意識の変化は、間違いなくオフィス移転がきっかけになったと黒澤氏は語る。とりわけ、旧オフィスで紙資料類を一番多く溜め込んでいた代表取締役会長・黒澤眞次氏の変化は、社内に大きな影響をもたらしたようだ。
「会長室の書類整理についてはかなり早くから取り組み始めていたものの、膨大な紙資料を前に途方に暮れていました。しかし移転1週間前頃、『やるぞ!』と会長の心に火が付き、書類整理を一気に始めたのです。最終的に、会長室だけで段ボール50箱分もの書類を廃棄することになりました。当社の場合、必ずしもトップダウンという意思決定が絶対ではありませんが、社内全体がペーパーレス化に向かい始めた現状は、こうしたトップ自身の行動もあったからだと思います」(天満屋氏)
その一方で、従業員から、いわばボトムアップの形で吸い上げられた意見も採用されている。例えば、業務に集中したい時に篭ることが出来る「集中席」や働く場所を選ばない「フリーアドレス」の導入だ。これに伴い、無線LAN環境も整備された。
「従業員からは、プロジェクトメンバーを通してできるだけたくさんの意見・要望を聞くようにしました。フリーアドレスの導入に際しては、当初は『従業員はずっと同じ席に座りたがるのではないか?』との懸念がありました」(黒澤氏)
そのため席移動のローテーションを決めておく必要があるかもしれないと思っていたが、いざスタートすると本社勤務の従業員たちは全員、自主的に動いていたという。
「旧オフィス時代は、同じ本社内でも隣の部署が抱えている業務内容があまりわからず、社内のコミュニケーションが不足していました。フリーアドレスの導入は、それを改善するという意味もありましたね」(天満屋氏)
なお、上記の「ペーパーレス」「フリーアドレス」と、いわばワンセットになっているのが、「クリアデスク」である。フリーアドレス環境では毎日座る場所が変わるため、机の上に物を置いたまま帰ることはできない。そのため、一人ひとりに個人用ロッカーを与え、ロッカーに収まらない私物はすべて持ち帰らせるように指導した。
「個人のパソコンなども、従来のデスクトップからノートパソコンに切り替え、退社時に個人ロッカーに収納する『クリアデスク化』を徹底しています。デスク周りに必要以上に私物を増やさないために、家族の写真などはスマホの待ち受けにしてもらうほか、仕事で使う書類なども、できるだけプリントアウトしないように指示しています」(天満屋氏)
その一方で、主に予算的な事情から導入を断念せざるを得なかったアイデアもあったという。
「たとえば『デジタルサイネージを導入してほしい』という要望がありましたが、サイネージ1面につき数百万円かかると聞き、今回はあきらめることにしました。これは次回の課題となるでしょうね」(黒澤氏)