- 良質な音楽に誰もが出会える仕組みづくりを目的に起業した
- 自宅オフィスから始まり、分室は近くのアパートの四畳半に
- フラットな会話を心がけることで、社員の不満が見えてくる
- コミュニケーションの活性化を目的として考えられた取り組み
- 音楽の力でオフィス内の知的生産性向上を可能にする
自宅オフィスから始まり、分室は近くのアパートの四畳半に。
「もともと1軒家を4人でシェアハウスとして借りていたんです。事業立ち上げ時は資金もないので、そこの自室をオフィスにしました。ですが、次第にメンバーが8人くらいに増えたときは、さすがにもう限界。向かいの古いアパートの和室四畳半を借り増しました。すぐ近くだったので電話の子機も使えて結構便利でしたよ。今では笑い話ですが、当時は本社、支社として呼んでいました」(?川氏)
その後、さらなる増員のため下北沢に移ることになる。
「アルバイトも含めると10人以上に増えたので、移転をしようと。ライブハウスが多く立地し、インディーズアーティストと触れ合う機会が多いことに魅力を感じ、下北沢を選びました。下北沢には2年くらいいましたね」(?川氏)
下北沢に移り、2年が経過。メンバーが20人以上に増え、また移転を検討するようになる。結局、下北沢を出るときには25名になっていたという。そして、次にオフィスとして選んだ場所は、原宿(神宮前)だった。
「下北沢はサブカルチャーの原点みたいな街ですから、できれば離れたくありませんでした。しかし35名が入れるオフィスビル自体が少ないこともあり、渋谷近辺で探すことにしたんです。会社のカルチャーを考えると、一般的なオフィス街ではなく、クリエィティビリティが高まりそうな場所の方がいいだろうと。そういった検討を重ねて最終的に原宿への移転を決めました」(?川氏)
続いて2012年3月にさらなる業務拡張のため、移転することになる。渋谷から近いエリアで少し広い面積が確保でき、さらにカルチャーを感じられる場所として選んだのが中目黒だった。それが現在入居しているビルである。
「色々な候補ビルを見ましたが、中でも中目黒の街並みは当社のカルチャーに相応しいと感じ、移転の段取りを決めたのです。もちろん賃料条件もあるわけですけど」(?川氏)
そうして中目黒に移ったわけだが、当然、立地だけ良ければいいわけではない。最も大事なことは、働く人の快適さ、楽しい、ほっとできる、居心地がいい、などを感じさせるオフィスづくりをどれだけできるかである。
「内装デザインも企業カルチャーを感じさせるものであるべきと考えました。そこで、全ての業務の共通認識として掲げている『多様性を活かす仕組みを創る』もオフィスデザインに適用させなければならないと思ったのです。そうしてオフィスのキャパシティを考慮した利便性やデザイン、カルチャーを感じさせる色彩などを取り入れました」(?川氏)
そうして出来上がったオフィスは外国籍の応募者やクライアントからも評価が高いという。
「以前、米国企業に勤務している方から、『シリコンバレーのようなオフィスですね』という言い方をしていただいたことがあります。このように、いい意味で日本の企業らしくないオフィスという声は多いですね」(?川氏)
全員が私服というカルチャーも、日本の企業らしくない要因の一つなのだろう。
「もちろん営業でお客様に会う予定のある人は、その辺をわきまえた服装をしています。個々のバランス感覚に任せており、特にルールがあるわけではありません。運営している中で自然に形成されたわけです。極論を言えば、お客様に不快な印象をもたれなければ、たとえ金髪だろうとなんでもアリだと思っています」(?川氏)
モンスター・スタイル
- 創造的、革新的なことにチャレンジする
既存の仕組み、答えの無いことにチャレンジし、新しい価値を生み出す姿勢を持ち続ける。自分たちにしかできないことに強くこだわっていきたいと思っています。 - 国境を超える
インターネットにもアートにも国境はありません。サービスを提供する私たちも国境を超えて事業展開をしていきたいと思います。 - 素人であり続ける
その世界に一旦浸かると自然と常識に縛られ、制約をつくり出します。良い意味で、素人の視点を持ち続けたいと思っています。 - チームとして最高のパフォーマンスを出す
1人でできることには限りがありますが、チームになった時には無限の力を発揮することが可能です。互いの価値観、意見を尊重し、全員で良いチームをつくっていきたいと思っています。