東京国立博物館 表慶館

オフィスマーケットⅡ 2008年6月号掲載

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※ 記事は過去の取材時のものであり、現在とは内容が異なる場合があります。

明治建築の代表作として重要文化財に指定された「東京国立博物館 表慶館」。建物自体が「美術」になり得るよう設計され、ナショナルミュージアムにふさわしい存在感を保ち続けている。関東大震災や空襲をくぐり抜けてきた建築技術はもちろんだが、当時の姿を残す修繕や内部壁面の塗り替え技術の高さにも注目したい。

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ドームが特長的な表慶館外観

明治期建築の至宝――贅を尽くした美術館の静かな佇まい

東京・上野の森にある東京国立博物館。現在は独立行政法人となっているが、広大な敷地に並び建つ壮麗な建築群はナショナル・ミュージアムにふさわしい偉容を保ち続けている。入口正面に関東大震災で被害を受けた旧本館に代わって建てられた本館(設計・渡辺仁)。そして、その左手側に物静かながら重厚な佇まいで建っているのが明治建築の代表作として重要文化財の指定を受けた表慶館である。
明治41年(1908)9月に竣工したこの建物の名は、皇太子時代の大正天皇の御成婚を祝う意味でつけられた。建設は国民が奉納した資金40万8501円を元に明治34年から7年の歳月を費やして行なわれた。この金額は現在に換算すると20億円に近い。"世界の一等国"を目指す当時の日本において、若きプリンスに対する国民の敬意・期待がいかほど大きかったかがうかがわれる。
延床面積2049.4平方メートルの2階建。外壁に花崗岩を貼り石造風に見せているが、実際には総煉瓦造で壁厚は81~186センチメートルに上る。設計には、赤坂迎賓館(当時・東宮御所)、奈良国立博物館、京都国立博物館等(いずれも重文指定)を手がけた宮内省技師・片山東熊を中心に、高山幸次郎や新家孝正といった俊英があたったといわれる。竣工当時、並び建つこととなった旧本館は片山の師であるジョサイア・コンドルの設計であり、震災が襲来するまでは明治建築の一系譜を辿ることのできる貴重な景観を呈していた。
当初4年を予定していた工期が倍近くにも延びたのは、同時期に片山が東宮御所を手がけていたことや平面・立面計画が二転三転したこと、さらに日露戦争により資材の輸送が滞ったこと、軟弱な地盤に対する念入りな基礎工事作業などが原因である。建物を象徴する3対ドームの形状など最終案がまとまったのは明治39年も半ばになってからのことであり、平面も当初はシンプルなI型だったものが便殿(貴賓室)を付設する等の付帯条件が加味され、最終的に中央・両翼にドームを擁する十字形ネオ・バロック様式の外観が決定されるまで、4案ほどが検討されている。なお、これらの設計案については、平面・立面図、パース等が豊富に現存しており、建築史的にも価値の高い資料となっている。
ベランダやラウンジにイオニア式のオーダー、2階外壁部分にピラスター、欄間に彫刻装飾を配するなど、左右対称の平面構成に対して立面は複雑な要素を採用し、全体として変化に富んだ古典的な美しい姿が印象的である。

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表慶館全景

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また、外壁上部には楽器や製図道具といったアイテムをモティーフとしたメダイヨン、内部インテリアの意匠の凝らし方も多彩で、建築作品としての魅力を遺憾なく発揮している。
内部は曲線を基調としたデザインで、中央ドームの天井まで吹き抜けとしたエントランスホールが開放感を演出する。細かい装飾、調度品等、隅々にまで目が行届いた設計は、"建築物は芸術作品でなければならない"と主張した片山東熊の思想を感じさせる。ましてや"美術館"である以上、数々の至宝を展示するその器自体が宝石箱のような存在であることが望ましいとの意図があったものだろう。

しかし、片山の考え方は当時の世相とは逆行していた観がある。大正デモクラシーへ向かう気運は一連の宮廷建築を権威主義的であるとして批判し、表慶館同様に片山が情熱を傾けた東宮御所の建物も明治天皇から「贅沢すぎる」との叱声があったという。失意の片山は、以後、建築設計の表舞台から遠ざかった。
ともあれ、関東大震災で敷地内の他の建物が甚大な被害を被ったため、再建事業が完了するまでの15年間は表慶館が東京国立博物館唯一の展示場として文化の灯火を守り続けた。そして戦後、歴史的・建築的価値が高く評価され、昭和53年(1978)に重要文化財となった。
震災を生き延びた堅牢性、観る者の心を捉える芸術性、片山の建築に対する思想はかくして現代に受け継がれた。

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東京国立博物館
営業開発部 経理課
環境整備室長(環境整備担当)

小寺正人氏

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東京国立博物館
事業部 事業企画課
デザイン室

矢野賀一氏

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シンメトリックに設計された階段

甦った明治建築 ――平成の大修繕を経ての再出発

関東大震災に際して表慶館が被害をほとんど受けなかった理由は、軟弱地盤を克服するための入念な基礎工事に加え、揺れの方向が建築位置に対して有利に働いたからといわれている。そのため、現在に至る長寿を誇ってきたわけだが、昭和も末年にさしかかると、さすがに老朽化の印象は拭えなかった。
しかしながら、重要文化財指定を受けての修繕、平成13年(2001)から断続的に行なっていた雨漏り対策の工事に続き、平成17年から平成18年にかけてドームを含む屋根部分の大規模修繕と内部壁面の塗り替えを目的とする工事が行なわれ、現在は創建当時の美しい姿を取り戻している。

「かつては7年ほど閉鎖していた時期もありましたが、まだまだ"現役"で使用できる建物であることを再確認できました」

そう語るのは、表慶館で建物の管理にあたる環境整備室長の小寺正人氏である。今回の修繕では屋根の銅板貼り替えとその下地となる野地板の交換が主目的であり、館内の環境整備室と文化財建造物保存技術協会、大林組等がプロジェクトチームを組織して設計・施工にあたった。
ドーム屋根は既存の銅板と新しい銅板で全て葺き替え、その上で修理前の緑青の色に似せた特殊塗装を施してある。施行直後なので現在は光沢があるが、経年とともに自然な緑青が浮き出る技法なのだという。その名も「KODAI」という三菱金属工業が開発したこの素材・技術は、今後の文化財建造物の保存・修繕にも活用されそうである。
内部の壁面修復はこれまでの塗装履歴を調査し、創建当時の色合いを再現してある。中央ドームの天井画の修復は当初の予定には含まれていなかったが、調査を進める内、クラックやひび割れの状態悪化が深刻であることが判明し、絵の具の剥落止めなどが急遽行なわれることになった。

「総工費6億円は消費税還付金で行った。独立行政法人への組織替えもあり、保存・維持のための資金調達は悩みの種ですね。しかし、貴重な建物をでき得る限り正しい姿で後世へ受け渡す努力は怠れません」

小寺室長の言葉に力がこもる。同席する広報室の小林徹氏、デザイン室デザイナーの矢野賀一氏も深く頷きながら口々に建物の活用による"自立運営"についての取り組みについて語ってくれた。

「現在は博物館の展示内容に沿った教育プログラムや体験型展示のために1階部分を使用する"みどりのライオン"という企画などを展開しています。文化財であると同時に表慶館が"文化を生み出す空間"であってほしいと願っているんです」

表慶館の玄関には緑青に覆われた一対の獅子像が"阿吽"の表情で睨みを利かせている。開館時に大熊氏広によって制作され、以後、100年の長きにわたって表慶館と共に歩んできた。その像にちなんだ"みどりのライオン"は同館の新しい活用法の一事例として興味深い。
今回の修繕で、珍しいドームの木組みや装飾のディティールが明らかになったが、反面、漆喰塗りや調度品等の復元に限界があることも認識せざるを得なかった。明治の職人たちの技術を継承する人材があまりにも少ない現状が壁になっている。表慶館など、当時の建築を積極的に学び、現在に甦らせることはできないものなのだろうか。

「文化財の保護はお金だけの問題ではないということです。ただ、今回の修繕でわかったことは、必ずまた別の建物の修繕や復元に生きるでしょう」

今回の取材で、表慶館は"美術館"であり、それ自体が"美術品"であるとの思いを新たにした。「展示だけでなく、建物を楽しみに訪れてくれる方々も多い」という小寺室長の言葉にも納得がいく。願わくば、この"百年建築"がなお数十年、いや、次の100年を長らえることを祈りたい。

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ドーム天井見上げ(修繕前撮影)

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ドーム天井装飾。絵に影をつけて立体的に見せている

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2階展示室。自然光を有効に活用するトップライト天井を採用

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1階エントランスホール

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1階展示室全景。平成17年の大修理で内装を創建当時の色に近づけた

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1階展示室。窓ガラスは当時のものを使用している

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表慶館裏手。スロープを設置し、1階はバリアフリーとなった

文:歴史作家 吉田 茂

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