「三井本館」日本橋室町街区再開発プロジェクト

オフィスマーケットⅡ 2006年3月号掲載

この記事をダウンロード

※ 記事は過去の取材時のものであり、現在とは内容が異なる場合があります。

三井グループの前身である「越後屋」発祥の地に「三井本館」が建てられたのは1929年。デザイン、技術の両面で日本の建築界に貢献したといわれる。東京都が制定した新制度「重要文化財特別型特定街区制」を受けて始動したタワーオフィスとの融合は、苦労の連続だったという。

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_01_linetouka.jpg

本館とタワー

再生成った首都のシンボル――街区活性化に資する歴史的建造物

「越後屋に衣さく音や更衣」――其角――。松尾芭蕉を受け継ぐ江戸俳諧の主流"洒落風"の代表作の一つとされる句である。衣替えの季節を迎えた大都市の慌ただしくも活気あふれる情景を、日本橋「越後屋呉服店」から聞こえてくる鋏の音で巧みに表現し、一場の都会的な風趣を鋭利に切り取っている。一方、「越後屋が見えそうなものと富士でいい」という句もある。こちらは川柳だが、当時の日本橋界隈からは手に取れるかのように富士山が眺望できた。ならば、富士の頂上からも江戸随一の大店「越後屋」が見えそうなものだ......というのである。
さて「越後屋」すなわち三井グループ発祥の地に建つ「三井本館」――昭和4年(1929)竣工――は、アメリカン・ボザール・スタイルの新古典主義様式をとる本格的オフィスビルの名品である。地上7階・地下2階、建築面積4559平方メートル。同地には既に旧「本館」――明治35年(1902)竣工――が建っていたが、日本橋地区における関東大震災からの復興のシンボルとすべく、旧「本館」の被害の程度は、改修工事を行なえば継続使用も可能な状況であったにもかかわらず、敢えて建築計画が立案されたという。
「三井合名会社」が打ち出した「震災の二倍のものが来ても壊れないものを作るべし」という命題と、"壮麗、品位、簡素"というデザイン・ポリシーを同時に具現化するため、世界最高水準の技術を擁していた米国ニューヨークの会社に設計・施工を依頼した。当時の一般的なビルの坪当たり建築費と比較して、その10倍以上もの総費用をかけて完成した新「三井本館」は、わが国の建築史上極めて重要な位置を占める作品であると同時に、デザイン・施工技術の両面にわたって長く日本建築界に大きな影響を与え続けてきた。花崗岩(茨城県稲田産)仕上げの外壁を整然と飾るコリント式の大列柱、吹き抜けの大空間を構成する一階営業室内のドリス式円柱群、要所に施された優美な装飾、地下大金庫用に特注した重量50トンの円形扉(米「モスラー社」製)――そのどれにも、この建物が有する深い歴史的な意義がある。「文化庁」が「本館」の重要文化財指定を打診してきたのも当然の流れであったといえるだろう。
しかし、所有者である「三井不動産」がこれに慎重な態度をとったのは、日本橋街区全体活性化をテーマとする再開発計画の重要性を十分に認識していたが故である。不動産事業用の資産として考えるならば「本館」を解体して、新たにオフィスビルを建設することが望ましいのは言うまでもない。重要文化財指定を受け、「本館」を保存した上で、街区の活性化・事業性の確保を実現することは可能か......「三井不動産」は「日本設計」と共同のプロジェクトチームを立ち上げ、この問題に正面から取り組むこととなった。

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_02_linetouka.jpg

その当時いくつかの事例が見られた"ファサード保存"等も次善の策として検討されたが、結果的に所有者は"全館保存"の英断を下し、その方針の下に行政側と多くの議論を積み重ねていった。その経緯については後段に譲るが、平成10年(1998)に「三井本館」は重要文化財に指定され、並行して東京都が創設した「重要文化財特別型特定街区制度」の第一号として日本橋室町地区は都市計画決定を受けた。
今、再開発計画の完了した同地区には「三井本館」・「三井二号館」、そして「本館」と調和するデザインのアトリウム空間を有する地上39階の「日本橋三井タワー」が建ち並び、江戸~東京のシンボル・日本橋の新たな賑わいを復活させる機運を醸成している。霊峰富士の姿は残念ながら失われたが、富士が日本橋に越してきたようだ――この景観を目の当たりにしたら、江戸の人々は必ずや口々に快哉を叫ぶであろう。

竣工前後 ―― 歴史と世相

大正12年(1923) 9月 関東大震災。11月、三井本館の建設が企画される。
大正15年/昭和元年(1926) 5月 三井本館着工。
米クラーク大学で初の液体燃料ロケット実験に成功。
昭和2年(1927) 米の飛行士リンドバーグが大西洋横断飛行に成功。
上野―浅草間に日本最初の地下鉄が開業する。
昭和3年(1928) 日本で普通選挙法による初の衆議院選挙が行われる。
英の医学者フレミングがペニシリンを発見する。
昭和4年(1929) 3月 三井本館竣工。

建物概要

三井本館

設計・監理 トローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所
構造設計 ワイスコッフ・アンド・ピックアース社
施工 ジェームズ・スチュワート社
竣工 昭和4年(1929)3月
規 模 地上7階・地下2階

日本橋三井タワー

デザインアーキテクト シーザー ペリ アンド アソシエーツ ジャパン株式会社
設計・監理 株式会社日本設計
施工 鹿島・清水・三井住友・銭高・東レ・佐藤 共同事業体
竣工 平成17年(2005)7月
規模 地上39階・地下4階・塔屋1階

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_03_linetouka.jpg

三井不動産株式会社
ビルディング事業部
事業グループ 
統括

小林進治氏

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_04_linetouka.jpg

元株式会社日本設計
シニアアーキテクト

中村 仁氏

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_05_linetouka.jpg

鹿島建設株式会社
(仮称)鹿島ウエストビル新築工事事務所 所長

伊藤 仁氏

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_06_linetouka.jpg

三井本館

"民"と"官"の共振――保存と事業性を両立させた新制度

重要文化財「三井本館」の保存と高層タワーの新築を核とする日本橋室町地区の街区再開発計画は、行政に対する所有者側の次のような打診から実現へ向けて動き出した。この時点では「本館」はまだ重文指定は受けていなかった。

「『建築基準法』第3条1項の適用による重要文化財の容積除外は可能なのではないか......」

第3条(適用の除外)――この法律並びにこれに基づく命令及び条例の規定は、次の各号のいずれかに該当する建築物については、適用しない――。その1項には「一 文化財保護法の規定によって国宝、重要文化財、重要有形民俗文化財、特別史跡名勝天然記念物又は史跡名勝天然記念物として指定され、又は仮指定された建築物」と明示されている。確かに文面をそのままに受け取れば、重要文化財指定建築物に対しては容積規定の除外措置が図られる余地があると考えられる。

「従来の規定のまま歴史的建造物を保存した場合、その容積相当分が非効率とならざるを得ない。それこそが各地から貴重な建築を失わせる大きな原因になっているのではないかとの問題提起でした」

三井不動産の小林氏は、保存することが事業性のアップにつながるような制度を確立する必要を強く感じていたという。議論を重ねるうち、時代の要請に合致した新たな都市計画思想を制度として実現しようとの共通認識が次第に醸成されていった。歴史的建造物の保護と街区の活性化という命題を両立させるために、言わば"民"と"官"の共振がそこに起こったのである。"歴史的建造物の保存"を契機とした都市計画上の新制度「重要文化財特別型特定街区制度」は、重要文化財と高層ビルを一体のものとして考え、それ迄の諸制度の容積割増の上限300%を超えて500%までを認めるという優遇策を核としている。これによって現在の街区全体の容積率最大1218%が確保されることになったわけである。小林氏と共にプロジェクトチームを組んだ「日本設計」の中村氏は、重文建築と高層タワーを"一つの建物"として実現するために行なわれた設計の苦心について次のように語る。

「タワー部分自体が最先端オフィス機能と高級ホテル機能を両立した複合施設、さらに歴史的建造物とが一つの建物として成り立っていなければならないわけです。それに基づく本館の内部リニューアル計画、全体としての構造計画、防災計画、本館とタワーを違和感なく連結するアトリウム計画......一つ一つが実験であり、冒険。しかし、十分な時間をかけて納得のいくものができたと感じています」

タワー低層部のアトリウムには、共同事業者である「千疋屋」と、ホテルテナント「マンダリンオリエンタル東京」のレストランが入っている。インテリア担当のデザイン会社と入念な打ち合わせを重ね、明るく心地好い空間と歴史の香りを湛える重厚な空間とのスムーズな接続が図られた。上部には保存されていた旧「三井二号館」のステンドグラスが修復して飾られ、「本館」を鑑賞するスペースとして設けられた広場には、コリント様式の列柱を高さ25メートルのガラス・エッチングで表現したヒストリカルウォールが設置された。
施工は建設工事共同企業体の手で行なわれたが、中心となった「鹿島建設」の伊藤氏も"両立"には苦労したという。

「同一敷地内に建つ本館と二号館を残し、他を解体撤去してタワーを建てる......まさに施工者泣かせのプラン(笑)。周囲に地下鉄や電話線の洞道が通じていることもあり、数々の新工法を編み出して対処することが要求されました」

まず基礎部分には"逆打ち"と"順打ち"を複合した"ハイブリッド逆打ち工法"を採用、地下鉄・洞道・「二号館」・「本館」側と四周側にグラウンドアンカーを打ち込んで大空間施工を可能とした。また、タワー部分でも、工事中の落下・飛散を防止するために"外周積層工法""コンクリートのPC化""コロシアム工法"といった各種工法を総合した"ハイブリッド積層工法"が新たに考案された。竣工当時の「三井本館」が"建築の学校"と呼ばれるほど各種の先端技術を導入して建てられたのと同じく「日本橋三井タワー」の建設に当たっても今後の指標となるような多くの新技術の導入・創出がなされたのだ。
名建築保存と街区活性化の可能性を大きく拡げた制度確立への貢献が評価され、本プロジェクトをめぐる一連の活動は「日本建築学会賞」の業績賞の栄誉に輝いた。人々が安らげる場所、気持が浮き立つ場所、遠くから足を運びたくなる場所......今、関係者たちは、日本橋の賑わいが徐々に回復してきているという確かな手応えを感じている。

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_08_linetouka.jpg

ステンドグラス かつて三井本館に隣接していた旧三井二号館を飾っていた ステンドグラス。現在、1階エントランスの天井に継承されている

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_07_linetouka.jpg

ヒストカリウォーク 1階アトリウムの三井本館外壁に設置。 本館のコリント柱がモチーフとして描かれている

文:歴史作家 吉田 茂

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_10_linetouka.jpg

東京大学教授・建築史家

鈴木博之氏

新たな都市計画制度の展開――広がる名建築保存・復原の可能性

重要文化財「三井本館」の保存を核とした日本橋室町地区の街区再開発プロジェクトは、東京都の「重要文化財特別型特定街区制度」の制定を促し、従来の規定にとどまらない歴史的建造物の保存・活用への道を切り開く契機となった。

「国や自治体がさまざまな制度を発足させたこともあり、この10年ほどで歴史的建造物や街並の保存をめぐる動きは、ゆるやかながら確実に変化の兆しを見せてきたと感じています」

たとえば「景観法」によって新たに指定されることとなった「景観重要建造物」は、「建築基準法」の規制緩和や税制上の優遇等のメリットがある。また、北海道函館市等に代表される「伝統的建造物群保存地区」といった街区全体を対象とする指定、そして今回の事例でも適用された容積移転を認める"特定街区制度"がある。東京都内の事例について幾つかを紹介しよう。

1:「日本工業倶楽部会館」

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_11_linetouka.jpg

隣接の三菱UFJ信託銀行本店ビルの建替えと一体の開発で「特定街区制度」を適用。歴史的建造物の一部を保存し、他を新築とすることで高層ビルとの共存を図った事例である。「日本工業倶楽部会館」の3分の1を保存して残りを旧部材を生かした新築とし、地上30階の「三菱UFJ信託銀行本店」(街区容積率1234%)建設が実現した。

2:「三井本館」「明治生命館」

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_12_linetouka.jpg

共に東京都が新設した「重要文化財特別型特定街区制度」による街区再開発事例である。重要文化財と高層ビルを一体のものとして考え、街区としての容積割増が500%まで認められる。これにより「三井本館」においては地上39階の「日本橋三井タワー」(街区容積率1218%)、「明治生命館」では地上30階の「明治安田生命ビル」(街区容積率1500%)建設が可能となり、重要文化財建物を維持し得る事業性が確保された。

3:「東京駅」

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_13_linetouka.jpg

日本で初めて「特例容積率適用区域制度」が適用された現在進行中のプロジェクトである。「東京駅」赤レンガ駅舎を、竣工当時の3階建に新築・復原、当該敷地の未利用容積を所有者以外に譲渡し、別途敷地における地上33階の「東京ビル」(街区容積率1702% /三菱東京UFJ銀行との一体敷地で1305%)などの建設が可能となった。復原後の「東京駅」は重要文化財指定を受ける予定。

「今回の日本橋室町地区の再開発は、行政による新たな制度の確立を引き出したという点で大きな意義があったと思います。とはいえ、歴史的建造物保存のための補修費用、日常的な維持費用といった負担が、相変わらず該当建物の所有者に帰するという状況は変わっていません。所有者自身の"保存への強い意志"、行政による規制緩和・制度の整備、そして名建築保護に対する市民の意識、それらが一体となって現状を打破することが理想。古い貴重な建物と新しい街並が共存できるような仕組みを模索する努力は、今後いっそう必要とされるでしょう」

主な容積率緩和制度の概要

特定街区制度

1.都市機能の更新や優れた都市空間の形成・保全を目的とした相当規模のプロジェクトを、一般の建築規則にとらわれず、都市計画の観点から望ましいものへと誘導していくために設けられた制度。

2.有効な空地の確保、地域の整備改善、都心居住を推進するための住宅の確保、及び街区の整備と併せて歴史的建造物等の保全・修復を行なう場合等に応じて、容積率の割り増しが受けられる。また、隣接する複数の街区を一体的に計画する場合、街区間で容積移転することも可能

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_14_linetouka.jpg

重要文化財特別型特定街区制度

1.東京都が新設した制度。歴史的建造物の保存を誘導し、魅力的な都市景観の形成を目的とする。

2.特定街区制度の規則に加え、保存する重要文化財の容積ボーナス200%を上限に割り増しされ受けられる。

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_16_linetouka.jpg
特例容積率適用区域制度

1.平成12年の都市計画法及び建築基準法の改正により、新たに設けられた。

2.対象エリアを全体としてとらえ、エリア内にある歴史的建造物や文化的環境に寄与する建物等を有する敷地の空中にある建物の未利用分容積を同エリア内の建物に移転し、容積の有効活用を図る制度。

memory_mitsui-honkan-nihonbashi_17_linetouka.jpg

この記事をダウンロード