光や色の演出で「空間の奥行き」を演出
床下に敷き詰めた炭は空気清浄効果を
地下鉄半蔵門駅から徒歩1分の新築ビル。6階の一室にあるオルタナティブ本舗証券の本社は、総面積約109㎡(33坪)と、比較的、小規模なオフィスだ。しかし中に入ると狭さを感じないのは、充分に考えられたデザインのおかげだろう。まずエントランス側にある会議室は、全面をガラス張りにして開放的な印象を与えている。さらにその先には大きな窓から外光の差し込むゆったりした執務スペースがあり、全体として空間の奥行きを演出するのに成功した。そんな「光の変化」を強調するように、パーテーションやブラインドの色調は、手前から青・水色・白へとグラデーションを描くように配置されている。
「とにかく、明るく居心地のいい職場にしたかったのです。オフィスは1日のうち最も長い時間を過ごす場所です。したがって、極端な話『自宅より快適な環境』を目指すべきでしょう。新しい金融商品の提案といったクリエイティブな仕事をしているだけに、働きやすさへの投資は、積極的に行っていこうと考えたのです」(代表取締役、吉田貴史氏)
「快適さ」がキーワードであっただけに、光や色の演出以外にも、室内にはさまざまな工夫が施されている。
「もっともこだわったのは、OA床の下に一面に敷き詰めた炭ですね。全部で1500袋ほど使用しました。炭は匂いや有害ガスを吸着するだけでなく、マイナスイオン効果などもあるといわれています。以前、実家を新築したとき、勧められて同じ工夫をしたところ、非常に快適な住まいになったのです。そんな経験があっただけに、新しいオフィスでも、ぜひ採用してみようと思っていました」
その効果は決して目に見えるものではないが、「都心なのにずいぶん空気がいいオフィスですね」と不思議そうな顔をする人が少なくないそうで、「費用は30万円ほどかかりましたが、価値は充分にありました」と評価している。ほかにも、「気分を落ち着ける」モーツァルトの曲を小さな音量で流したり、加湿機能のある室内噴水を置いたりと、多くの実験的な試みが採用された。
「工事を必要としたのは、OA床を除けば、カーペットを標準仕様のグレーから明るいものに変えたのと、ドアの内側を許可を得て青く塗り直したくらい。それだけでも、オフィスの環境は大きく改善できるのです」
立地より「快適さ」を実現できる空間がオフィス探しにおける最優先条件だった
吉田氏が職場環境の向上に強いこだわりを持つのには理由がある。
「私は18年間、大手の証券会社にいました。当然、オフィスは事務机が整然と並んだ詰め込み型のレイアウトです。ほとんど社内に人がいない営業部門ならともかく、開発などの仕事をしている社員にとっては使いやすいとはいえず、誰もが不満を感じていました。しかし横並び意識の強い日本企業では、たとえ部長クラスがオフィスの改善を必要だと思っていても会社の許可はまず出ない。いくら『職場の環境がよくなれば仕事の効率が上がって業績に貢献できる』と提案しても無駄なのです。そんな状況に呆れていただけに、自分で会社を興したときには、理想のオフィスをつくろうと決心しました」
それでも設立当初は予算的な余裕はなく、「意地でもデスクだけは使いやすいデザインなものを揃えましたが、それが精一杯でした」と笑う。その反動もあり、今回の新オフィスでは、「快適だと思える環境が実現できること」を最優先条件に物件探しを始め、全部で200件近い候補の中からここに決めたという。
「10件以上は実際に足を運んでチェックしましたね。最終的に決め手となったのは、内装の変更が可能なだけでなく、大きな窓があり、眺望がよかったから。仕事に疲れたとき、外の景色を眺めるだけでかなりのリフレッシュ効果があるものですが、このビルは天井から床までの大きな窓があるうえ、広い通りに面しているので閉塞感がない。これは快適さにつながる重要なポイントです」
一方、立地については、あまり限定的には考えなかった。
「今はもう、証券を扱うからといって茅場町や兜町にオフィスを構えなければならない時代ではありません。しかも私たちの場合は、デスクで資料をじっくり読み込んだり、少人数で情報交換のための打合せをする時間のほうがずっと多い。ですから、ある程度、都心に出やすい場所であれば、それこそ、以前いた高田馬場でもまったく不自由はなかったのです」
ただし、エリアはどこであれ、駅近くのビルであることは大事だという。
「単に移動がしやすいだけでなく、街の構造上、郵便局や銀行などの公的機関は駅前に集中しているので、利便性はまったく違います。飲食店やコンビニなども含め、周辺環境の快適さも、オフィスにとっては無視できない要素の一つではないでしょうか」

人が斜め方向で向き合う配置のため、集中できるだけでなく、その場で簡単な打ち合せも可能だ。
目に見えるものだけがデザインではない
人は五感すべてで快適さを感じるはず
結果としてかなり理想に近いオフィスを実現できた吉田氏だが、今回の移転プロジェクトを通して強く感じたのは、満足できる小規模なオフィスの供給が思っていたより少なかった点だという。
「ベンチャー企業や、私たちのようにそれほど大人数を必要としない会社にとって、20~50坪くらいのオフィスは一番使い勝手がいいはずです。ところが、このサイズになると、なかなか条件にあった物件が見つかりません。余剰スペースを利用したような窓のない小部屋や、改装が難しいマンションタイプのオフィスでは『仮の住まい』にしかならないし、といってホテルタイプでは賃料が高くなりすぎます。その辺のニーズを、供給側にもっと気づいてほしいですね」
そして、「職場環境へのこだわりは、むしろ小さい会社のほうが大きいのでは......」と指摘する。
「大手に対抗して優秀なスタッフを集めるには快適な職場であることは重要ですし、少人数の組織であればあるほど従業員の満足度には敏感にならざるをえません。だからこそ、それほど広くなくても、内装などを自由に変えられるオフィスがもっと供給されれば、需要はかなりあると思いますね」
今回、新設したオフィスは、広さでいえば前オフィスの約2倍になる。そして現在のところ、そのスペースをすぐに拡張していく計画は持っていない。
「コンサルティングを行う会社では、スタッフの数を増やしたからといって、それに比例して業績が拡大していくわけではありません。それより、情報を共有しやすい規模の組織で、経験やスキルを持ったメンバーが最大限に能力を発揮できる環境を構築したほうが生産性は上がります。したがって、スペースの拡張性はまったく考えませんでした」
もちろん広いオフィスは魅力的だが、快適さや生産性の向上といったワークスペースにおいて追求すべきことを考えたとき、それは絶対的な条件ではないという。
「今、使っているデスクは、人が斜めの方向で向きあう配置になっているため、集中して作業できるだけでなく、その場で簡単な打合せをすることもできます。このような家具を導入することで、ほとんど会議室に移動しなくても済み、スペース効率はかなり高まるもの。つまり広いオフィスであることと便利であることとは、決してイコールではないのです」
ちなみに、レイアウトの段階で社長室を設けたものの、吉田氏自身、仕事は他のメンバーと並んだデスクで行っていることから、今は予備室としてしか利用していない。
「海外からのお客さまが来たとき臨時のオフィスとして使ってもらうなど活用はしていますが、私がここにいることはほとんどありません。最近ではマットを敷き、休憩時間にエアロビクスをしている人もいるほど(笑)。それで仕事に集中できるのなら、社長室に固定してしまうよりよほど有効なのではないでしょうか」
企業にとって最も大切なのは人であり、オフィスは人の力を発揮してもらうツールになる。だからこそ「経営者はもっと職場環境の向上に目を向けるべきだ」というのが吉田氏の持論だ。
「ビジネスというのは人が生み出す価値によって成り立っているのです。しかも人の可能性は無限大なのですから、そこに投資する意義は大きい。それには、働きに見合った報酬を約束するだけでなく、居心地のいい職場を用意することも大切なのです」
そして、オフィスにおける居心地の良さは、人の五感すべてを考えなければ実現しないという。
「オフィスデザインというと、ついつい目で見えるものばかりが対象になりがちですが、私はそれだけが答ではないと思っています。聴覚や嗅覚、触覚、さらにもしかすると味覚まで含めて、何が快適さにつながるのか考え、試してみることで、案外、予想もできなかった成果が生まれるかもしれません。私が炭を敷き詰めたり、音楽を流してみたのもそんな思いがあったからです。幸い、このくらいの規模の会社であれば従業員の反応はすぐわかるので、今後もいろいろ工夫をし、もっと居心地のいい空間にしていきたいですね」