まちいろプラス

東京トリビア

まちの魅力をさまざまな切り口から紹介する「まちいろプラス」。今回は「東京トリビア」というテーマでお届けします。よく行くまちにも、びっくりするようなエピソードが隠れているかも!?

 

日本随一の繁華街・銀座

銀座はもともと、銀貨鋳造所のことを指す言葉でした。江戸時代、駿府に置かれていた銀貨鋳造所が1612年に江戸に移転。銀貨の鋳造が行われるようになりました。その後、1869年と1872年に、銀座一帯を焼き尽くすほどの大火が起き、その復興事業によって生まれたのが銀座煉瓦街です。不燃化を目指して建設された煉瓦造りの街並みは、文明開化のシンボルにもなりました。そしてロンドンの街並みを見本に、街路樹やガス灯、アーケードが設置され、馬車鉄道や路面電車の発達とともに日本一の繁華街として発展していきます。ちなみに金貨を鋳造していた「金座」もありましたが、地名としては残っていません。

日本中にある「○○銀座」の総本山

日本全国にある「○○銀座」。ご本家・銀座の華やかさにあやかろうと、大正・昭和の時代に名付けられたといわれています。中でも有名なのは品川区の戸越銀座商店街。もともとこの一帯は低地で、雨が降るたびにひどいぬかるみに悩まされていました。そんな折に起きた関東大震災。銀座のシンボルでもあった煉瓦は大量のがれきとなり、処分に頭を悩ませていたそうです。その煉瓦を敷き詰めることで歩きやすい道路をつくれると考えた商店街の人々は、煉瓦と「銀座」という名前をもらい受けたということです。そのご利益は、活気溢れる今の戸越の様子からも明らかでしょう。商店街の一部には、銀座六丁目の煉瓦を譲り受けたことから命名された「銀六商店街」の名が今でも残っています。

「銀座」を名乗る商店街は東京のみならず、日本全国で300ヵ所以上あると言われています。さらには、かつて日本統治下にあったパラオ共和国にも「ギンザドーリ」があるそうです。

「銀ブラ」は、ブラブラすることではない

「銀ブラ」という言葉をご存知でしょうか。その由来の一つが「銀座カフェーパウリスタでブラジルコーヒーを飲むこと」。大正時代に慶応大学の学生が流行らせたと言われています。彼らは三田のキャンパスから銀座カフェーパウリスタに出向き、ブラジルコーヒーを飲みながら議論をかわしたのですね。当時、銀座パウリスタといえば文化や流行の発信地、作家などさまざまな文化人が通い詰めていたといいます。そして、コーヒーといえばその当時一番のハイカラな飲み物。ドキドキしながら、彼らの話に聞き耳を立てていたのかもしれません。

創業当時の銀座カフェーパウリスタ

創業当時の銀座カフェーパウリスタ

現在の銀座カフェーパウリスタ

現在の銀座カフェーパウリスタ

日本人のコーヒー好きは銀座から?!

明治時代、多くの日本人が移民としてブラジルに渡りました。当時、ブラジルのコーヒー生産のシェアは50%以上。働き手を世界各国に求めたのです。国内の失業者問題の解決策として移民事業を計画した水野龍(みずの・りょう:ブラジル移民の父)ですが、多くの困難を強いられます。その移民事業が大きな打撃を抱えていることを知ったブラジルのサンパウロ州政庁は、年間1,000俵のコーヒー豆の無償提供をし、普及事業を託しました。こうして産声を上げた銀座カフェーパウリスタ。それを機に、コーヒー文化は日本人にとって欠かせないものとなりました。

文化とビジネスの街・新宿

歌舞伎座はないけど歌舞伎町

日本三大歓楽街の一つに数えられる歌舞伎町。「歌舞伎座がないのに歌舞伎町?」と不思議に思いませんか。
1945年、現在の歌舞伎町付近は東京大空襲により一面の焼け野原となりました。戦後、復興事業として芸能施設を建設しようという都市計画が持ち上がります。その一つが歌舞伎演舞場で、街の名前もそのまま「歌舞伎町」となりました。しかし財政的に苦しくなったことから計画は頓挫、名前だけが残されたというわけです。その後、新宿コマ劇場が建設されました。現在は、それも建て替えられ複合インテリジェントビル「新宿東宝ビル」が竣工しています。

歌舞伎役者は来なかったけれど、ゴジラが来ました

歌舞伎役者は来なかったけれど、ゴジラが来ました

歌舞伎町といえばこの看板

歌舞伎町といえばこの看板

再開発が進む街・渋谷

「恵比寿」名前は、あの企業発!

ビジネスに、イベントにと日々賑わう恵比寿ガーデンプレイス。ここはもともと、サッポロビールの前身である日本麦酒醸造會社の工場が立地していました。1901年、山手線上にビール出荷専用の貨物駅が開設され、ヱビスビールにちなんで「恵比寿駅」と命名されたのです。当時、近隣は「下渋谷」という地名でしたが、後に「ゑびす」と呼ばれるようになり、地名として定着しました。1988年にビール工場が千葉県に移転した後も「恵比寿」として愛されています。ちなみに、ビールを運ぶために使われていた坂道は「ビール坂」、恵比寿橋は「ビール橋」と呼ばれていたこともあるとのこと。飲兵衛にはたまらない!?

企業名が地名になるケースは恵比寿だけではありません。愛知県豊田市には「トヨタ町」、大阪府池田市には「ダイハツ町」、群馬県太田市には「スバル町」があります。企業名が駅名になるケースでは、東京なら銀座線「三越前駅」、北海道なら「サッポロビール庭園駅」というものもあります。

現在も変貌を続ける恵比寿ガーデンプレイス

現在も変貌を続ける恵比寿ガーデンプレイス

恵比寿駅前でまちを見守るえびす像

恵比寿駅前でまちを見守るえびす像

政治・経済・法曹・ビジネスと、日本を動かすビジネスタウン・虎ノ門

「虎ノ門」ってどの門?

江戸城の外堀にあった36の門の一つ「虎ノ御門」。門そのものは1873年になくなったものの、近隣地域の俗称として使われ続け、地名となりました。現在では門があったことを示す石碑と、江戸城の外堀の一部が残るのみとなっています。

「虎ノ門」という名称の由来は諸説ありますが、江戸城から見て「寅」の方角にあったから、という説はとてもシンプルでわかりやすいもの。ほかに十二支の名がついた門はありません。その他、有力なものとしては四神思想の「青龍・白虎・朱雀・玄武」からきているという説、桜の品種「虎の尾」にちなんだという説、太田道灌の出陣の際に「千里行って帰る虎」にちなんだという説、韓国から献上された虎を運び入れるために門を大きく改造したからという説が残されています。

真相は謎ですが、虎ノ門一丁目交差点の横断歩道脇に設置された虎のブロンズ像は今も、まち全体に睨みをきかせています。

虎ノ門からほど近くの場所にある愛宕神社は「出世の階段」で知られます。神社が鎮座する愛宕山は、23区内で最も高い山。虎ノ門を訪問したら参拝し、出世を願いつつまちを見渡してみてもいいかもしれません。

今でも虎がまちを見守っています

今でも虎がまちを見守っています

愛宕神社といえば「出世の階段」。初詣はビジネスマンで大賑わい!

愛宕神社といえば「出世の階段」。初詣はビジネスマンで大賑わい!

学生街からビジネスまで多種多様な街・神田

街を歩けば、神田、神田、神田…!

神田神保町や神田岩本町など「神田○○町」という名を持つ場所は28ヵ所もあることをご存知でしょうか。「外神田」「内神田」なども入れると、実に32ヵ所にもなるのだとか。その一部をご紹介しましょう。

神田駅東口側に広がる「神田紺屋町」。ここはまちの真ん中に「神田北乗物町」があり、南と北に分かれている珍しい街。一方、二丁目しかないのが「神田司町」、三丁目しかないのが「神田鍛冶町」。かつては欠けた一丁目や二丁目も存在していたものの、住居表示実施に伴う町名変更の際に変わってしまったのだとか。

ダブルの神田が「神田美土代町」。もともと「神田」も「美土代」も神社の領田という意味なので、さながら「神田神田町」といったところでしょうか。面白由来つながりでは「神田錦町」もなかなかのもの。一説に「旗本の一色家の屋敷が2軒あったことから、二色が転じて錦となった」と言われています。ダジャレ!?

「神田猿楽町」は猿楽師・観世大夫一団の屋敷があったことに由来するもので、「猿」の俗称「エテ」より「エテガク丁」とも呼ばれたことがあるといいます。そうなると気になるのが渋谷の「猿楽町」。こちらも…!?と思いきや、渋谷のほうは古墳時代末期の円墳・猿楽塚が由来とのこと。地名の奥深さを感じさせますね。

歌川広重による「名所江戸百景 神田紺屋町」

歌川広重による「名所江戸百景 神田紺屋町」

「名所江戸百景 筋違内八ツ小路」現在の千代田区神田須田町にあたる。

「名所江戸百景 筋違内八ツ小路」現在の千代田区神田須田町にあたる。

 

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※ 掲載している記事内容は取材時(令和2年5月時点)のものです。

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