都市の記憶Ⅲ 「日本のクラシックホール」出版記念フォーラム

オフィスマーケットⅣ 2007年9月号掲載

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※ 記事は過去の取材時のものであり、現在とは内容が異なる場合があります。

『都市の記憶III 日本のクラシックホール』は、『都市の記憶』シリーズの第3弾。好評だったこれまでのシリーズ「オフィスビル」「駅舎とクラシックホテル」の続編として2007年に白揚社から刊行された。
明治・大正・昭和を経て「集いの場」として存在する建築物が編纂されている。今回、著者である5人が参加した出版記念フォーラムの様子を紹介する。

講演者
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写真家

増田彰久氏

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東京大学大学院教授
建築史家

鈴木博之氏

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法律家
弁護士

小澤英明氏

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東京大学大学院教授
建築家・建築史家

藤森照信氏

司会進行
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文筆家

阿川佐和子氏

主催
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株式会社オフィスビル総合研究所
代表取締役

本田広昭

成熟した都市の象徴――"集いの場としての建築"

阿川:最初に、この本の主旨などについてお話しいただきたいと思います。

増田:このシリーズの1冊目、オフィスビルの本が幸いに好評でした。そこで続けて、駅舎とクラシックホテルを出し、次は何かと考えたとき、テーマとして浮かんできたのが"集いの場としての建築"でした。これまで、このジャンルを採り上げた類書はありません。実は僕も、今回の本に入れた建物をあまり撮らずにきて、ほとんどが撮り下ろしです。

鈴木:今回の本の楽しみ方についてですが、写真家には、対象物をドラマティックに伝える人とか、記録写真のように撮る人など、タイプがあります。増田先生は、その建物の特徴が一番わかりやすいように工夫されて撮っている。たとえば、あるホールは正面から舞台に向かってまっすぐ撮る、あるいは舞台と客席を7:3のバランスで撮る、真横から撮る、実にさまざまです。読者もそういうところに着目してページをめくると面白いのではないでしょうか。

小澤:最初の本のときは、歴史的建造物保存のための理想的な制度を備えた架空の国の見聞記というかたちで、議論の糸口を示させていただきました。2冊目では、現実の日本でクラシックホテルが壊されそうになったとき、どのような法律的対処策が取れるかを、そして今回は、もっと現実的に、ホールなどの歴史的建造物を残すための資金をどうやって調達するか、どういう仕組みがあるのかを書かせていただきました。

藤森:今回、興味深かったのは、一橋大学の兼松講堂(1927)と、神戸女学院大学の記念講堂(1933)この両者がこんなに似ているとは思っていなかったので、驚きました。前者は伊東忠太、後者はヴォーリズと、まったく違う人生を生きた人の設計なのに不思議ですね。時代は重なっていても、文化背景も違うし、どちらかが模倣したということも考えられない。改めて面白いなあと気づかせてもらいました。

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一橋大学兼松講堂

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神戸女学院大学記念講堂

阿川:それでは、実際のクラシックホールについて解説していただきます。今回、紹介されているホールは、すべて現存するものですか?

増田:現存しています。最初は、旧函館区公会堂(1910)ですが、当時の公会堂は、お金持ちの寄付によって建設されたものが多いのですね。ここも、相馬哲平という豪商の寄付によるものです。内部はかなり広い空間で、木造でこれだけのものをつくるのは大変だったでしょうね。

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旧函館区公会堂

藤森:ヨーロッパのトラスの技術を用いているから可能になった。函館では明治維新のときに新政府側と幕府側が戦争をしました。その後も幕府側の商人が実権を握っていたのですが、新政府の北海道庁が丘の上に役所を建てたのに対抗し、それより少し高い場所にこれを建てました。木造でこんなに派手にペンキを塗った建物は珍しい。僕は最初、こんなテーマパークみたいな派手な色にはしないだろうと考えた。ところが、調査してみると、もともとこういう色だったそうです。立地も含め、官に対する市民運動として、それだけ目立つようにしたかったのでしょうね。

鈴木:色については、昔のウェッジウッドの陶器などもかなり派手ですし、ヨーロッパのロココから、その後のペテルブルクの宮殿などに至る流れもこんな感じなので、この建物だけが特に変わっているというわけではないのですよ。

増田:旧山形県会議事堂(1916)の撮影はちょっと大変でした。「照明を点けていただけますか?」とお願いしたら「電気代を払っていただきます」という。まあ、公費で運営しているものだからと納得し、次に「舞台も明るくしたいのですが」といったら、「それは別料金」(笑)。大変なんだなあと思いました。なので、この写真はけっこうお金がかかっています。しかも、照明を点ける係の人を呼んでもらうのに、30分、40分......と、時間もかけています(笑)。

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旧山形県会議事堂

鈴木:この建物の場合、重要なのは内部。保存のため、きれいに修理されていますが、これは日本の建物修理の歴史の中でも記念的な作業で、補強は外側だけで済ませています。通常、内部に柱を足したりするのですが、ここはそれを外に集中させ、内部のデザインを守った。これは画期的なことです。

増田:郡山市公会堂(1924)。こういうホールができた都市は、それだけ市民の意識が高かった証拠で、立派ですね。次は国会議事堂(1936)。普通の建築写真では参議院を紹介することが多いのですが、僕は衆議院のほうを中心に撮りました。日比谷公会堂(1929)は早稲田大学の大隈講堂(1927)なども設計した佐藤功一の作品。舞台の袖の左右に、資金を寄付した安田善次郎と企画した後藤新平の像がはめ込まれています。歌舞伎座は岡田信一郎の設計で三代目の建物ですが、残念ながら近く取り壊されるそうです。こちらの東京大学安田講堂(1925)も安田善次郎の寄付によるもので、第一回の有形登録文化財になっています。

"足"で発見したポイント――歴史的建造物撮影の苦労

鈴木:この写真はけっこう不思議で、現在、安田講堂の後ろには巨大な医学部の校舎と高層マンションが建っているので、最初にこれを見たとき10年くらい前の写真だと思いました。ところが、最近のものだという。

増田:僕は建物の写真を撮るとき、建った当時のかたちをできるだけ再現したいと思っています。安田講堂の場合は並木から近づいていきますと、たった一点だけ、ここしかないというポイントがあった。左右に30センチずれても後ろの建物が見えてしまう微妙な位置。決して合成で消したのではありません。

藤森:早稲田大学の大隈講堂は内部が見事ですね。天井のステンドグラスが時計みたいなデザイン。次の日本女子大学の成瀬記念講堂(1906)これはキリスト教の教会みたいですね。ミッション系ではないのに。

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日本女子大学成瀬記念講堂

鈴木:この建物は非常に不思議な壊れ方をしていて、外側の煉瓦の部分は失われたのに内部だけが残り、それを修復して使っています。ハンマービームという中世ヨーロッパで一番手の込んだシステムが、今の日本で最もよくわかる例ではないでしょうか。天井を支える横木がハンマーのように見えるのでこう呼ばれています。

増田:ここは田辺淳吉の設計で、学校を出て1年目くらいの作品ですが、すごいなあと思いましたね。当時の教育は立派だったのですね。もっとも、最近、別の人の作品ではないかという説もあるんですが(笑)。

鈴木:田辺さんはこれができた頃には他の仕事をしていたので、確かにそのあたりは慎重に考えるべきですね。いずれにしろ中世には、木造で大きな空間をつくろうとすると、このように持ち送りで二段構え三段構えにしなければならなかったわけです。シンガポールのラッフルズホテルなどもそうですね。

建物の"個性"、建築家の"精神"にふれる楽しみ

藤森:慶応大学の三田演説館(1875)。この外壁はなまこ壁で、日本の伝統的な蔵の造り方ですが、この建物では洋風の窓とうまく合って、しみじみ良いものだと思いますね。

増田:最初はここにある椅子は置かれてなかったのではないかという気がしました。というのは、窓の位置が低く、昔は正座して演説を聞いたのでしょう。続いては星薬科大学本館(1924)、それから、先ほど藤森先生が神戸女学院のヴォーリズの建物と似ているとおっしゃった一橋大学の兼松講堂です。よく見ると動物の像がいっぱいついています。

藤森:動物というか、怪獣とか妖怪みたいなものですね。外側は全部ロマネスクからの引用ですが、内部のものは自分でつくったそうです。つまり自分の作品を外に出さなかったというところが伊東さんの謙虚さの表われなのでしょう。

増田:次に求道会館(1915)

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求道会館

鈴木:これができた当時は本願寺を中心に仏教の改革が進んでいて、その推進者の一人――近角常観――が青年を集めて組織をつくり、説法するために建てた。だから、祭壇がある教会のような内部で仏教の教えを説いたのではないでしょうか。大倉山記念館(1932)は長野宇平治の設計ですが、天井は木造っぽいかたちだし、その下の支えは木組みだし、柱はクノッソスの神殿からとってきたと思われるし......不思議な建物ですね。

藤森:長野さんの古典的教養がすごかったということでしょう。ギリシアから、その前のプレヘレニズムという特殊な時代のものまで詳しかった。ここまでやった人は世界でも少ないですね、下すぼまりのクノッソスの柱とか。彼は最初、日本の建築もヨーロッパと同じように歩むべきだと強調していた。しかし、夏目漱石の同級生でもあった彼は、近代化とは何か、非常に悩んだ末に、晩年、日本的なものに惹かれ複雑な折衷様式に至ったのでしょう。

増田:――静岡市議会議事堂(1934)と豊橋市公会堂(1931)は中村與資平の作品。大阪市中央公会堂(1918)は、岡田信一郎の原案に辰野金吾が手を入れたものですね。次の神戸市立御影公会堂(1933)は、今回撮影した中で一番状態が悪かった。現在も使われてはいますが、2階は危ないから上がらないようにとか、そんな状態です。ところで、次の神戸女学院の記念講堂など、今回、ヴォーリズの作品をいくつかとりあげているのですが、建築家としての評価はどうなのでしょう。彼のファンは一般にはたくさんいるのに、どうも建築史の先生方との評価の間に温度差がある。

藤森:なんとも捉え難い人ですね。ファンには申し訳ないが、彼をはずしても建築の歴史は一向に困らないというか......僕らは建築を流れでとらえるので、位置づけに困るのです。日本にスパニッシュ形式を最初に持ち込んだ人ではあるし、影響も大きいけれど、彼はキリスト教伝道の資金を得るために建築をやっていたわけで、そのへんが普通の建築家と違う。

鈴木:藤森さんは、筋で見るんですよね。日本の建築史の筋でいえば、ヴォーリズがいてもいなくても良いというのは確かにその通りで、感心しました。彼の建築は、とにかく素直。建築教育を受けて建築家になったわけではないから、きちっとオーソドックスなアメリカ建築をつくり、変にいじったりしない。だから、逆に、我々の側から見ると、そこに物足りなさみたいなものを感じてしまう。

増田:奈良女子大学記念館(1909)は木造のゴシックで、いかにも女子大らしい可愛い建物ですね。上野の旧東京音楽大学奏楽堂(1890)などと同じように天井の中央部分が抜けている面白い空間。村野藤吾が設計した宇部市渡辺翁記念会館(1937)は近代的な感じで、戦前のものとは思えない斬新な印象です。ただし、ここも周囲がマンションだらけで、この位置でしか撮れません。琴平町公会堂(1932)は、舞台の逆側には立派な床の間があり、舞台で講演を聞いたあと、後ろで宴会ができるという面白い構造になっています。活水女子大学講堂(1926)は今回撮り直しにいったのですが、真ん中にあった塔がなくなってしまっていた。

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宇部市渡辺翁記念会館

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琴平町公会堂

鈴木:僕はやはり改修の仕方にこだわりますね。できれば原型は崩さないほうが良い。残したい人がその建物を引き受けられる仕組が必要

阿川:小澤さん、古い建物を残す手法についてお話しいただけますか。

小澤:今回収録の『ダヴィッド同盟』は、ある市の公会堂が壊されるという話があったとき、弁護士と公認会計士、建築士の3人が集まり、保存の方法を考えていくというストーリーです。美しくて魅力的な昔の建物をなんとか残したいと多くの人が望む一方で、現実にはどんどん便利だがつまらない超高層ビルが増える。その理由の一つは、経済原理に基づいて活動する企業が、保有する建物の床面積を少しでも広げて収益性を高めようとするからです。しかし、ここで発想を転換し、企業が社会貢献の一環として歴史的建造物を守っても良いのではないか。実際には今の制度下では、企業が「この建物の保存に協力したい」と思っても、そのための寄付をするのは簡単ではありません。株主の利益に反する行為ですから。しかし、何よりもまず重要なのは、個人より圧倒的にお金を持っている企業に建物を守ってもらう方法を考えることです。

阿川:そんな方法があるのですか?

小澤:古い公会堂を残すのと、新しく大きなビルに建て直すのと、どちらが費用対効果(図下)に優れているか分析してみましょう。まず利用度予測は、新築のほうが有利です。コスト面でも、古い建物はメンテナンスなどのコストがかかりますから、最初の建築費を考えても設備のリニューアルで維持・運用コストを抑制できる新築と長期的にはあまり変わりません。その他、安全性やバリアフリーといった項目で評価していくと新築のほうが有利になってしまう。しかし、歴史的価値の評価をプラスすれば、それぞれの価値はイーブンになるはずです。ところが、今の社会は法的責任だけ果たしていれば良いという風潮で、それだけを考えれば、地震に弱い建物を所有するなどリスクでしかありませんから、当然、取り壊してしまえとなる。従って、歴史的建造物を残すには、そうならない法的仕組み――その建物を残したい人が自分でお金を出せるシステム――をつくらなければなりません。

費用対効果分析

項目

現公会堂

新公会堂

建物の利用度予測

+20

+40

建設維持コスト

-40

-40

安全性

+10

+20

歴史的価値

+20

0

合計

+10

+20

阿川:容積率(図下)を買うというのは、その具体的な方法ですか?

小澤:そうです。歴史的建造物のある土地を低い容積率に抑え、その分を売買して転用すれば、不利な面が解消されます。今回の試みに、どの土地でも自治体が本来許容する容積率の5%は売却できるという方法を考えました。5%まで容積率を増やして良いが、その分はお金を払いなさいということですね。更に、そのお金は、当の自治体でなくとも、美しい街づくりを推進している団体などに払えるのです。あくまでも私案ですが、解決先の一つとして検討材料にしていただきたいと思い、提案しました。

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鈴木:さて、僕は改めて本書に収録された写真を見て、やはり日本の建築は捨てたものじゃないなと思いました。良い建物とはある意味"無駄"な努力をしているのですが、実は無駄ではなく、それが"魅力"として伝わっていくものなのですね。せっかくお金をかけているのだから、今の超高層ビルも「もっとがんばれよ」と思う。こうして残った建物のメッセージを受け止め、必要以上の努力をして、記憶に残るようにしてほしい。学ぶことはたくさんあるように思います。

増田:予算がないせいでボロボロになっている建物でも、そこにいる人たちはとても誇りに思い、大切にしています。ところが普通、こういうホールなどはほとんど取材依頼もないらしく、撮影を申し込むと、とても歓迎されるんです。撮影中に何度も内部の方々が顔を出し、その建物の歴史を話したくてしょうがないという感じで......愛されているのだなあと、非常にうれしく思いました。

阿川:人も建物も、みんなから必要とされることが大切ですね。そうすれば、結果として保存に結びつく可能性が高い。ですから、もっと多くの方々に関心を持っていただきたい。私もそう感じました。

文:歴史作家 吉田茂 建築写真:写真家 増田彰久 会場写真:写真家 吉田武

都市の記憶 III 日本のクラシックホール

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判型:A5版
総ページ:320ページ
著者:鈴木博之(東京大学大学院教授)、増田彰久(建築写真家)、小澤英明(弁護士)、吉田茂(歴史作家)、オフィスビル総合研究所
定価:3,675円(税込) ISBN 978-4-8269-0137-6
発行:白揚社

第1章:成熟した都市の象徴
第2章:魅惑のクラシックホール
第3章:ダヴィッド同盟:イーグルホールをよみがえらせよう!
第4章:歴史の証人たち

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電話:03-3561-8088 FAX:03-3564-8040
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