旧日本郵船小樽支店/「都市の記憶」発行にあたって

オフィスマーケット 2002年3月号掲載

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※ 記事は過去の取材時のものであり、現在とは内容が異なる場合があります。

「旧日本郵船小樽支店」は明治後期の近代建築の代表作。1906年に竣工、厳しい風土に耐えられるよう建設当時からボイラーによるスチーム暖房や二重窓が取り入れられた。1987年の修復工事では大理石や漆喰、工芸的価値の高い家具なども復元。その美しさを紹介する。
現役のオフィスビルとして活躍している近代西洋建築をまとめた「都市の記憶」が発行される。現存する41棟の建物の内外を写真で紹介する。

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北の商都小樽の象徴――明治後期様式建築の白眉

昭和44年(1969)に重要文化財指定を受けた旧日本郵船株式会社小樽支店は、近世ヨーロッパ・ルネッサンス様式に則った重厚な石造建築であり、明治後期を代表する建築作品の一つとして名高い。
国を挙げた北海道開拓事業の拠点として港湾機能・商業都市機能を拡充しつつあった明治後期の小樽には、船舶・海運・倉庫などの業者が競って船入澗や石造倉庫を建設した。同時に、当代一流の建築家たちが技術の粋を集めて様式建築の作品に腕をふるったのである。
明治37年(1904)に着工、同39年10月に竣工。設計は工部大学校造家学科(現・東京大学建築学科)の第一期卒業生・佐立七次郎である。同地の日銀支店を手がけた辰野金吾、同じく三井銀行支店を手がけた曾禰達蔵らの同期生とともに、草創期の日本近代建築をリードした佐立は、当時、日本郵船の建築顧問として各地の支店建築に腕を揮っていた。施工には、地元の大工棟梁・山口岩吉と石工・山田藤次郎があたり、工費は当時の金額で約6万円が費やされたという。
石造2階建の建物は、街路に面する正面(東面)の表玄関と両翼部分を前面に張り出した左右対称の構成をとる。北面には、別に貴賓用の横玄関を配置している。淡色系の石材で構成される外壁のところどころに見られる抑制を利かせた装飾が、堅実ながら却って瀟洒な印象を与える外観となっている。外壁には厚さ約75cmの軟石(小樽天狗山産)を使用し、腰と胴を形づくる蛇腹と軒部分には中硬石(登別産)を採用したという。
オフィスビルとしての機能性と、華麗な貴賓室を備えた特殊な接客機能を両立・調和させるべく、内部の設備・調度類にも設計者の周到な配慮が感じられる。大理石敷の横玄関部分から大階段の木製手すりに見られる繊細な彫刻、精緻な装飾類が見事なハーモニーを奏で、同時に米国製スチールシャッター、スプリングシェイドローラーといった設備類が、当時最新の商業建築としての面目を遺憾なく発揮していた。金庫室や支店長室、応接室といった各室の造りも、当時の技術を結集した豪壮なものであった。
また、厳しい冬の寒さに対する配慮として、建設当時から地下ボイラー室によるスチーム暖房を完備、窓もすべて二重ガラスとされた。加えて、営業室では、温かな光線を放つライト類がワニス塗りの木材部を輝かせる。外部からの来訪者は、ここに立つだけで、厳しい北海道の冬をしばし忘れたことだろう。
この建物は、竣工直後に、ポーツマス条約に基づく日本―ロシア間の樺太(サハリン)国境画定会議が2階会議室で行われ、会議終了後は隣接する貴賓室で両国代表が祝杯を交わすという、重要な歴史の舞台ともなっている。

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1階営業室

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2階会議室

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貴重な歴史的遺構を後世に保存するため、いち早く昭和30年に小樽市が日本郵船から建物を譲り受け、市の博物館としての再利用が図られてきたが、老朽化は避けられなかった。そこで、昭和44年の重要文化財指定後、昭和53年の屋根葺替工事を皮切りに、同57年からの現況調査を踏まえて59年10月から全面修復工事が実施された。
33カ月の工期を経て昭和62年6月に完了した修復工事の結果、外観はもとより、2階貴賓室をはじめとする内部も、往時の姿をそのままに伝えるものとして新たな命を吹き込まれることとなった。
客溜りと営業室を高いカウンターで仕切った1階部分は、木彫キャピタルを施した柱と、格子天井が骨格の力強さを感じさせ、興隆期の海運業の勢いを象徴している。カウンター上部の花型ブラケットライト等も細部仕様まで復元され、放射される温かな光がかつての人の出入や執務状況を髣髴とさせる。
大階段を上って貴賓室に足を踏み入れると、寄木造の床、スカイブルーの漆喰天井、セードシャンデリアなどに、まず目を奪われる。贅を尽した空間は、菊模様金唐革紙の壁深紅のカーテン、幻想的な花柄の絨毯に彩られ、鏡付大理石製暖炉や家具調度類の隅々にいたるまでが、北の商都の「迎賓館」たるにふさわしいプライドを示している。
約198㎡の会議室の吊天井には、大胆な弧を描く装飾彫刻が施され、シャンデリアの光を反射する壁面の金唐革紙には優雅なアカンサス模様が踊っている。36脚の椅子が整然と並ぶ大テーブルの傍らに立てば、誰もが厳粛な歴史の重みを感じざるを得ないだろう。
本舎と渡り廊下で結ばれた瓦葺の付属舎に設置された、球戯室、倶楽部、看貫場(計量室)なども正確に復元され、いかにも明治期の商業建築らしい特徴的な仕様と景観を今に伝えている。
現在、この建物は市の教育委員会の管理のもとに一般に公開され「小樽の歩みと日本郵船」をテーマにした明治・大正期の海運資料展示コーナー、国境画定会議資料室などが設けられている。同時に、今回の修復工事に際して得られた漆喰剥離状況・擬石作成過程など、建築的資料を集めた修復資料室を併設しているのも注目すべき点といえる。

着工前後から竣工まで ―― 歴史と世相

明治37年

(1904)

  • 2月 日本がロシアに宣戦布告する(日露戦争)。
  • この年、日本郵船小樽支店着工。

明治38年

(1905)

  • 5月 連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破する(日本海海戦)
  • 9月 ポーツマス条約調印、終戦。
  • この年、夏目漱石が『吾輩は猫である』を発表。アインシュタインが「相対性理論」を発表。

明治39年

(1906)

  • 3月 鉄道国有法が公布される。東 京上野で帝国図書館の開館式が挙行される。
  • 10月 日本郵船小樽支店竣工。

明治40年

(1907)

  • 3月 日本郵船ほか3社の共同出資で「日清汽船会社」が設立される。

大正12年

(1923)

  • 9月  関東大震災により旧新橋停車場の本屋が焼失する。

写真集『都市の記憶――美しいまちへ』発行にあたって

2000年3月号掲載の明治生命館(東京都千代田区/重要文化財)からスタートした「都市の記憶」シリーズも、今回で13回目を迎えた。およそ2年間にわたり、現役のオフィスビルとして活躍している近代西洋建築を取り上げてきたわけだが、取材を通じて担当者たちが痛感したのは、美しい町並みを形成することを目的とした場合、近代建築の保存にあたっての"活用"という視点がいかに重要であるかという事実だった。
明治から戦後復興期までに建てられた、いわゆる近代建築を"保存"しようという動き自体は、これまでにも数多く存在した。大正12年に東京周辺を襲った関東大震災によってそれまでの明治期建築のほとんどが瓦礫と化し、第二次大戦時の空襲もまた名建築の多くを全国規模で焼き払った。これらの「強烈な破壊」をかろうじて免れた建物群も、戦後の高度成長期以降、スクラップ&ビルドという「静かなる破壊」によって次々に姿を消していった。しかし、そんな中でも、生き残った歴史的な近代建築に象徴性と強い愛着を見出し"保存""復元"の道を独自に模索した所有者・自治体は決して少なくなかった。
だが、従来の"保存""復元"という視点は、歴史的な建築物の姿を後世へ向けて正確に残すことが主目的であり、同時代的な機能活用の必要性は絶対的な条件ではない。時代を経てきた建物は、当然のことながらその機能性・居住性において現代のニーズに適合しなくなったり、そもそもの用途の使命が終結したりもする。純粋なモニュメントとして、あるいはせいぜい資料館といった用途への変更によって、近代建築を"保存""復元"しようという動きと、経済行為としての「静かなる破壊」が、激しい対立もなく同じまちの中で同時進行的に進行してきた点に、深い問題の根があると感じられてならない。建築は本来、場所と人の営みとの関わりそのものとして存在するべきものである。そうした観点から、近年、歴史的建造物に不足する機能を追加、あるいは用途を変更しての再生という試みが注目されている。貴重な名品が次々に失われ、また、幸いに"保存"されたとしても現代都市の中で形骸化していく――そんな危機感が、近代建築をはじめとする歴史的建造物への市民の意識を確かに変えつつある。機能の追加・整備により、歴史的建造物も商業財として十分な価値を発揮しうるし、むしろ新築の建物以上に魅力的な空間となるケースもある。このような"活用"が背景にあってこそ、愛すべき近代建築の一つひとつは、都市に活力を与えながら美しい町並みを形成する要素として自立するのではないだろうか。
もちろん、法的な規制や不動産の権利関係といった問題を抜きにしては、保存も活用も具体的な解決策を見出すことはできない。バブル経済期の前後に多くの歴史あるオフィスビルが姿を消してしまったことは直視しなくてはならない現実であるし、先の阪神・淡路大震災に際しても損害を受けたビルの大半は修復されることなく現在に至っている。震災後に、歴史的建造物の所有者に対し、修理費の補助や税制面での優遇措置を講じる「登録文化財」の制度が誕生したが、それでもまだ十分とは言いがたい。本シリーズが回を重ねるうちに、もう一つの出版企画が形をとりはじめた。シリーズ第2回でも取り上げた「三井本館」(東京都中央区/重要文化財)の開館60周年記念誌の監修者であり、建築史家として知られる東京大学教授・鈴木博之氏に御教示をいただきながら、全国の自治体や地域の方々の協力を得て歴史的建造物およそ1100棟の現存を確認するリストが完成。鈴木氏からは「都市の記憶を探そう」と題した論文も寄稿していただいた。また、「建築探偵団」の一員として歴史的建造物の撮影をライフワークとしている写真家・増田彰久氏に貴重な作品を提供していただき、近代建築として特に価値の高いオフィスビル41棟の美しい姿を収録することも可能となった。
さらに、建造物の保存・活用、都市景観を考えるうえで避けて通ることのできない法的なアプローチについては、不動産法に明るく、この分野に独自の視点を有する弁護士の小澤英明氏にご協力いただき、対談記事と提言「イリタヤ国の登録景観設計士制度見聞記」を掲載することができた。こうしてまとまった『都市の記憶――美しいまちへ』は、株式会社白揚社より近日刊行の予定である。
21世紀という新しい時代を迎え、私たちが真に美しいまちづくりをどのように実現していくのか、そのためには何を考えなければならないのか――同書は、このテーマに対して、歴史・現状を踏まえた上で、一つの方向性を提示するために企画された。
本シリーズの姉妹編として、多くの読者を得ることができれば幸いである。

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惜しくも取り壊された第一銀行本店。丸いドームが特徴的だった

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現存する近三ビル。見事なエレベーターホール天井のタイル

写真集 都市の記憶 ――美しいまちへ

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判型:A5版 総頁/384頁
定価:3500円(税別)
著者:鈴木博之(東京大学教授)/増田彰久(建築写真家)/小澤英明(弁護士)/オフィスビル総合研究所 共著
発行:白揚社

第1章 都市の記憶を探そう
第2章 魅惑のビルディング
第3章 まちに残る歴史の証人たち
第4章 歴史と文化を継承する美しいまちへ

文:歴史作家 吉田茂
写真:建築写真家 増田彰久

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