一方、文献などから当初の主要な材料はほぼ特定できたが、その多くは、すでに入手不可能か、仮に入手できたとしても建材として現代の基準を満たさないものである。そこで、外壁の主要材料であったと考えられる砂質系凝灰岩「伊豆斑石」は、現在も一般的な外装用建材として用いられている凝灰岩である「札幌軟石」に変更した。コーナー部分、ベース部分も現実に使用可能な材料を用いて設計した。
「外観の意匠で一番問題だったのは、正面中央の貴賓専用と思われる出入口。写真では陰になっていて、正確な姿が解らなかったため、改めてコンクリート製のアーチでデザインし、明治の意匠の再現ではないことを表明しています。また、錦絵以外にほとんど資料のない建物内部は、歴史的・様式的な意匠を安易に模倣せず、用途に合わせた現代的空間にしてあります」
現代の意匠で新たにデザインされたパーツには、 出自を表明する年号数字が。「平成の復元」にあたっ た設計者の良心だ
さらに、建築基準法における耐震基準を満たし、同時に地下の遺構を傷めずに保存する配慮が必要だった。史跡上に置いたマットスラブと一体化したRCを基本構造とすることでこの問題をクリアしたが、このため建物の接地レベルは過去に比していささか高くなっているという。