都市の記憶

~歴史を継承する建物~

ヨネイビルディング

オフィスマーケット 2003年9月号掲載

※ 記事は過去の取材時のものであり、現在とは内容が異なる場合があります。

1930年に竣工した「ヨネイビルディング」は、株式会社ヨネイ(当時は株式会社米井商店)の本社ビルとして誕生した。1951年に増築して6階から7階建てになり、1984年に外壁と窓枠の改装を行った。独特の景観を守るためにどんな工夫があったのかを伺った。


蓑田義文氏

株式会社ヨネイ
総務部 部長代理

蓑田義文氏

 

優雅なる成熟――“愛着”と“活用”の振幅

昭和26年の増築時の外観

昭和26年の増築時の外観。当時はテラコッタ・タイルで隙間なく覆われていた

こんな話を聞いたことがある。ヴァイオリンやチェロといった弦楽器は、いかなる名器であろうとも、長い間、弾かれることがなければ「鳴らなくなる」のだという。博物館などのガラスケースで後生大事に“保管”されている楽器を見ると、現役の演奏家は、涙が出るほどの哀しみを覚えるという。建築もまた然りなのではないだろうか。これについて、蓑田義文氏は次のように指摘する。

「そうですね。使い続けなければ“ただの古い建物”になってしまう。建物が本来持つ良さを残すこと、現代の規準に即して快適な空間とすること、資産としての有効な活用法を模索すること……それらを総合して初めて建築の保全が実現されるのだと思います」

ヨネイビルディングは、機械・資材等の輸出入を行なう銀座の商社・株式会社ヨネイ(旧・株式会社米井商店)の本社ビルとして、昭和5(1930)年4月22日に竣工した。

このビルが金解禁政策の失敗と世界恐慌の影響による未曾有の大不況下に誕生したのは皮肉なことだった。もちろん、不況に抗って建設されたわけではなく、それ以前よりの構想が予定通り形を与えられたに過ぎないのだが、リストラや操業短縮の動きが経済界に広がりつつある中で、ある意味では贅沢とも映る建物が批判の矢面に立たされるという不幸な側面があった。もし、着工が1年遅れていたら、建設計画自体が大きな見直しを迫られていたかもしれない。

しかし、そんな逆風をかいくぐって、地上6階・地下1階の壮麗・瀟洒な建築は生を授けられた。鉄骨鉄筋コンクリート造。デザインは中世ロマネスク風で、直線を強調した帯状の装飾で輪郭を際だたせ、大小のアーチ窓が軽快なリズムを生み出す。重厚な石貼の1階外壁部分に配されたアーチ窓には特徴的な螺旋模様が施され、2階以上の外壁はテラコッタ・タイルで隙間なく覆われていた。また、かつては屋上階にランプ様の装飾もあったそうだ。

装飾が特徴的な外壁窓の意匠

装飾が特徴的な外壁窓の意匠

施工は清水組(現・清水建設)。設計は、東京帝国大学造家学科を卒業後、大学院に進み、後に台湾で約9年を過ごした経歴を持つ森山松之助(1889~1949)である。台湾総督府土木技師として活躍した森山の作品・台北市電話交換局は、日本人が初めて手がけた鉄筋コンクリートの事務所建築として歴史にその名を残す。帰国してからの代表作として、旧久邇宮邸(戦災で焼け残った部分は聖心女子大学)、新宿御苑の台湾閣、旧本所公会堂(現・両国公会堂)などがある。森山はデザインのみならず設備関係にも詳しく、素材に関しては常に最上のものを求めたという。ヨネイビルにおいても、大理石やチーク材をふんだんに使用した内装に設計者のこだわりが見て取れる。
以後、このビルは永きにわたって同社社員の心の拠り所となった。「銀座の地に自社ビルを持ち」、それが「誇るべき価値を備えた名建築」である事実が、社員のモラール&モチベーションに及ぼした影響は非常に大きかったろう。
昭和26年には増築して現在の7階建てとなった。 

また、時が経過するにつれてテラコッタ・タイルの剥離・落下が危惧されたため、昭和59年に2階以上外壁と窓サッシの更新に踏み切った。さらに、地下室改修、空調設備変更、オフィスのOA化など、内部にも幾度かの改修が実施されてきたが、ビルのイメージやデザインが変わることのないよう常に配慮してきたという。蓑田氏の言葉からは、“建物への愛着”と“建物の活用”という2点間の振幅に存在する困難と、その中心に位置する管理者の“責任”の重みが如実に感じられる。

「1988年から1996年まで、1階と地階部分を、当社と関係の深いキリンビールが経営するレストラン『ストラスアイラ』として時限的に展開したことがありますが、この度、資産の有効活用を本格化するプロジェクトとして純粋なテナント誘致を図り、この4月から新しく洋菓子のお店がオープンしました。先方の要望とこちらの意見を十分に摺り合わせた上で、建物の耐震性や強度を入念に吟味し、大胆に壁やスラブを抜いて開放的な動線を確保するための大幅な内装変更を実施しています。」

いかにも銀座らしいお洒落なスポットとして知る人ぞ知る存在だった「ストラスアイラ」の名を記憶している人は多いだろう。同店はアンテナショップとしての役割を終えて閉店したが、今ここに洋菓子の名店「アンリ・シャルパンティエ」が銀座柳通りでの新たな伝説のページを開くこととなった。静かに、祝福するように、年を経た優雅なる成熟の表情を湛え、名建築が名店の発展を見守っている。

現在の外観

現在の外観

ヨネイビルディング地図

竣工前後 ―― 歴史と世相
昭和3年(1928)

  4月10日 日本商工会議所設立。
10月25日 日本商工会議所が金解禁断行を決議する。
12月10日 ヨネイビルディング定礎式。

昭和4年(1929)

  1月22日 ヨネイビルディング上棟式。
10月24日 ニューヨーク株式市場大暴落。世界恐慌となる(「暗黒の木曜日」)。

昭和5年(1930)

3月    銀座の町名区分が変更される(「銀座八丁」の成立)。
4月22日 ヨネイビルディング落成。
同日   日米英がロンドン海軍軍縮条約を締結。
この年  大不況下の日本産業界で操業短縮の動きが広がる。

 
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