空間デザインとABW研究

2022年9月取材記事から
※ 記事は過去の取材時のものであり、現在とは内容が異なる場合があります。

働き方やオフィスのあり方を見直す過程の中で、フリーアドレスやABWを導入する企業は少なくない。ABWを成功させるポイントはどこにあるのか?今回は、長年にわたってABWや空間デザインの研究を行っている東京都立大学の笠松慶子教授、東京工科大学の相野谷威雄講師にお話を伺った。

笠松 慶子氏

東京都立大学 システムデザイン学部
教授 笠松 慶子 氏

青山学院大学大学院理工学研究科経営工学専攻卒業。その後、青山学院大学理工学部経営工学科情報テクノロジー学科助手、産業医科大学生態科学研究所人間工学教室助手、金沢工業大学情報フロンティア学部心理情報学科講師・准教授。現在、東京都立大学システムデザイン学部インダストリアルアート学科教授。研究テーマは、ABWによる効率や行動への影響、デザインにおける共創プロセスに関する研究など多数。

相野谷 威雄氏

東京工科大学 デザイン学部
講師 相野谷 威雄 氏

武蔵野美術大学大学院造形研究科基礎デザイン学コース修了。その後、武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科助手、首都大学東京システムデザイン学部インダストリアルアートコース助教授。現在、東京工科大学デザイン学部デザイン学科講師。専門分野はプロダクトデザイン、デザインマネジメント。

人間工学を研究する延長線上にABWがあった(笠松 慶子氏)

学生時代は、青山学院大学経営工学科で人間工学を学んでいました。卒業後も、「働く人の健康マネジメント」や「働く人のストレス」などの研究を続けて、金沢工業大学心理情報学科では心理学をモノづくりに生かす研究を行っていました。その時に金沢工業大学感動デザイン工学研究所の立ち上げに参画しています。その後、東京都立大学に異動しまして、「空間のあり方」についての研究をスタートしました。その延長線上にあったのがABW※1です。現在、人間に適合したものや情報のデザインに必要な品質構成についての人の心理や感覚・機能面から研究を行っています。そしてABWを含めて、UX(ユーザエクスペリエンス)※2、デザインプロセス、共創、エビデンスベースドデザイン、生理指標、快適性などを研究キーワードとしています。
※1 仕事内容や気分に合わせて、働く場所や時間を自由に選ぶ働き方のこと。ABWの広義では自宅やカフェ、サテライトオフィスなども仕事場となる。
※2 ユーザーが一つの製品やサービスを使用することで得られた「使いやすさ」や「印象」などの体験のこと。UXに関連した言葉にUI(ユーザインターフェース)がある。これはユーザーが触ることができる部分を意味する。UI(コンテンツデザイン)を改善したのでUX(Webサイト)が向上した、という言い方ができる。

工業デザインからオフィス構築に至るまで(相野谷 威雄氏)

私は自動車が好きでカーデザイナーに憧れて武蔵野美術大学に入学しました。ここで自動車デザインを学びながら造形的な要素から社会システムに興味が移行してきました。そのため大学院では基礎デザイン学コースに進みました。時代的にもデザインの概念が拡張していくことを感じていたので、デザインとは図案を描くことだけでなく、将来的なビジョンも見据えて考えていく必要があると思っていたからです。そうした考えもあって、デザイン全体を俯瞰的に見るデザインコンサルティングの分野に進むようになりました。実際にプロジェクトマネジャーとして参加した事例としては、企業と共同研究でのサービスロボットの開発や、秋田県横手市にあるコールセンターのオフィス建築プロジェクト、サインマネジメントの分野でサポートを行った八王子市の南大沢文化会館、新宿駅などがあります。サインマネジメントでは何度も検証を重ねて視認性の高いデザインを構築しました。

業務によって適した環境が異なる

ミサワホーム総合研究所との共同研究で、「住宅空間の中での業務環境」を分析したことがあります。ミサワホームは2013年に少子高齢化社会に向けて、働ける空間を採り入れた住宅を企画。テレワーク推進賞を受賞しました。しかし、働く環境としてテレワーク用のスペースを用意すればそれでいいのかという議論が始まっていたそうです。(相野谷氏)

会社の中にはさまざまな業務が存在します。業務によって働きやすい環境は別々のはずです。そこで笠松研究室に調査依頼がきました。研究を行うにあたって、「働くって何?」という部分から見直すことにしました。そこでミサワホームの社員の方々を対象に、職種別インタビューを実行し、業務の実態を可視化していったのです。その後、研究・分析を続ける中で、働く場所を使い分ける機能。つまりABWの必要性を提言することができました。(笠松氏)

働き方を観察してからデザインを考える

「人」と「モノ」の間には、必ず「行動」が存在します。そのため、ユーザエクスペリエンス(UX)で行動を観察し、行動の見える化を行う。その行動に合わせたデザインを考えることが重要です。(笠松氏)

デザイナーは基本的にモノを中心にデザインを考えるものです。私は、人がモノに触れたときにどのように反応するかの研究を行っていたこともあり、笠松研究室と共同で研究をしています。研究を続ける中で導き出した答えは、「空間ありきで物事を考えるのではなく、人が動くことで何が起こるか。それを考えたうえで空間づくりを行う」ということ。その考えこそが、最近注目されているHCD(ヒューマンセンタードデザイン)※3に繋がるものと思っています。(相野谷氏)
※3 人間中心の設計。人の行動を前提にしたモノづくりのこと。ユーザビリティの高さだけではなく、ユーザーのニーズを正確に把握することがポイントとなる。

3つの感覚刺激で集中度を分析

「人の行動と空間の関係性」をテーマにABWの研究を行いました。先日の日本工学会第63回大会で発表したのですが、「感覚刺激によるナッジ効果の可能性について」というものです。ナッジ効果※4とは、望ましい行動をとれるように人の行動を後押しするアプローチのこと。今回の実験の目的は、「3つの代表的な感覚刺激がどれだけ人の行動に影響を与えるのか」を調べることです。実験方法は、3時間という決められた時間の中で好きなタイミングで休憩をしながらA4サイズのポスター制作を行うというもの。時間内に「環境音」「照明」「香り」をランダムに変化させて、休憩ごとにアンケートを記入。実験終了後には個別にインタビューを行いました。そうして集中度合いや作業ペースなどを分析したのです。もちろん品質評価はできませんのでこの調査が全てではありません。しかし、興味のある結果が出ましたのでご覧ください。(笠松氏)
※4 罰則ではなく自発的な行動を促すのが特長。アムステルダム空港のトイレの小便器に「ハエ」の絵を取り付けたことで、利用者の飛沫を80%減らしたことがナッジ効果の成功事例として有名である。

環境音

  • 集中へ導入、意識的にやる気を起こさせる
  • 疲れを自覚させ、休憩意識を高める
  • 集中している際は気にならない

休憩や集中へ緩やかにシフトさせる効果がある

照明

  • 「暗い・暖色系」は、眠気やリラックス・休憩意識を与える
  • 「明るい・暖色系」は、やる気や切り替えの効果を持つ

▶ オン・オフの切り替えを容易に行える

香り

  • 意識的にストレッチを行う
  • 作業をしながらのリラックス、切り替え、集中

▶ 心理的にリフレッシュ。身体的にストレッチを行う

今後のオフィスのあり方と課題

以前、大学の校舎建設の都合で、プレハブで研究を行わざるを得ない状況でした。その時の体験から空間の重要性は身に染みて感じています。ABWは働き方に重点を置くべきだと思っています。そして働く環境にとっての「場」は重要な要素だと考えています。(笠松氏)

今後は、単なるデザインマネジメントではなく、業務全体を見据えたビジョンマネジメントを提案していきたいと思っています。そのためにも人間工学と共創して、より効果的な空間づくりを目指していきます。(相野谷氏)