- ミッションである「人と人をつなげる」を実現させるために
- 全員が納得するような "丸い" ものでなく "尖った" ものでもいいと考えた
- 厳しい時間との戦いの中で、費用とデザインを見直した
- ガイアックスのシェアリングが体現できる共有コミュニティ「永田町グリッド」
- 働き方だけでなく、地域や人々との関わり方も変えていく場所となる
ミッションである「人と人をつなげる」を実現させるために
前回、2014年10月に行った株式会社ガイアックスへの取材記事では、同社の主な事業内容として「ソーシャルメディアの構築・運営・モニタリング」と紹介している。その後、2年半の間にグループ会社との提携もあわせて多くの新規事業が発足。今まで培ってきた事業を基盤にし、新たな分野への展開を見せている。ただし創業時からのミッションである「人と人をつなげる」は今も変わることはない。ちなみにそのミッションは、社名の起源でもあるガイア理論「地球は一つの生命体」という考え方から生まれたという。
「3年ほど前からソーシャルメディアだけでなく、コミュニティ運営やスペースの提供といったシェアリングサービス事業に移行しつつあります。2015年11月には、シェアリングエコノミーに特化したファンドを設立し、インキュベーション事業をスタート。国内外のシェアリングエコノミー企業への出資も積極的に行ってきました。2016年1月には、一般社団法人シェアリングエコノミー協会という業界団体を立ち上げ、情報発信をするとともに、社内には事務局を設置しています」(佐別当 隆志 氏)
同社代表執行役社長(兼取締役)上田祐司氏は、シェアリングエコノミー協会の代表理事でもある。インキュベーション事業に関しては、まだグループ内での売上としては大きくはないものの、投資家や起業家からの反響は増えてきているという。既存事業の規模拡大に加えて、こうしたさまざまな新規事業を立ち上げたことによって、同社に関わりを持つ人たちの数は飛躍的に増大。本社オフィスを構えていた品川区西五反田のビルのキャパシティを大幅にオーバーするようになっていた。
「前回、西五反田のオフィスビルにグループ会社含めて統合したのは2009年4月。その後も多くの社員が入社しました。当時はまだ同ビル内に空フロアがありましたので、オフィスが手狭になるたびにフロア増床で対応していました。実は、2014年に大幅な増床計画を行ったのですが、その当時から将来的なキャパシティを確保できる物件探しを根気よく続けていました」(佐別当氏)
のちにオフィス移転が正式に決定すると、佐別当氏はプロジェクトチームのリーダーを務めることになる。そして、佐別当氏の下でブランディング ディレクターとして実際のオフィスのブランドデザインを担当したのがNatalia Davydova氏である。
「私は創業翌年の2000年に入社しました。ガイアックスが初めての就職先なので、他の会社と比較することはできませんが、とても自由な社風で、いろいろなことを自分で決めて任せてもらえる職場であると思っています。今回のプロジェクトでもかなり思いのままやらせていただきました」(Natalia Davydova氏)
同社のコアバリューの一つである「フリー・フラット・オープン」は、「メンバー全員が経営層や事業責任者と同じ情報を持つことで、自分自身で判断し、行動する権限が与えられています。ゴールに向かって一人ひとりが同じ方向を向き、動くことのできる強い組織を目指します」と宣言されている。Natalia氏の言葉は、それがお題目だけでは終わらず、実際にルールとして機能していることの証明といえる。
全員が納得するような "丸い" ものでなく"尖った" ものでもいいと考えた
西五反田の旧本社オフィスは、JR山手線の五反田駅と大崎駅のちょうど中間あたりに位置していた。都営地下鉄浅草線の五反田駅と東急池上線の大崎広小路駅も利用できる満足のいく立地環境だった。
「しかし、ビル全体のキャパシティに限界がありました。それに加えて、今後の『ガイアックスらしさ』やコーポレート・ブランディングについて考えたときに、『私たちが、本当にやりたいことはこのビルでは難しいだろう』ということを強く感じていたのです」(Natalia氏)
「当初、移転先候補として我々が想定していたのは、廃校となった学校や、つぶれた倉庫などでした。つまりは、何もない大空間を持つ建物です。そうした場所に自由にオフィスをデザインしてみたい。そして多くの関連企業とシェアリングできるワークスペースをつくりたいと考えていました。つまり重要と考えていたのは空間であって立地ではなかったのです」(佐別当氏)
旧オフィスへ移転してきた8年前は、ちょうど国内出張が増えてきた時期でもあり、交通アクセスの利便性がとても重要だった。現在、同社はすでに次のステージに上がっており、立地やアクセシビリティ以上に重視する条件がほかにある、ということなのだろう。
「近年はクラウド化の発展により、オフィスであろうと、カフェであろうと、あるいは自宅であろうと、どこでも同じように働くことができるようになりました。極論すれば『はたしてオフィスは必要なのか?』という考え方になりかねません。それに対して、『オフィスに来るだけで出会いがあり、そこから新たな仕事が生まれることもある。だからこそシェアリングエコノミーの構想を実現するには具体的な場所が必要だ』というのが我々の考えです」(佐別当氏)
今回の移転計画に際して、旧オフィスの不満やオフィスに対する要望を社内アンケートなどで広く集めた。そして、それらのたくさんの声から、一つひとつを精査し、次に活かせるものをまとめたという。
「もちろん、すべての要望に応えるには限界があります。そこで旧オフィスの単なる不平不満については意見としてお聞きし、どのような機能があればどんなことが実現できるといった将来が見える課題について議論したのです。今回、『透明性のあるガラスで仕切りたい』、『キッズルームを設けてほしい』といった要望は、新オフィスで採り入れています」(Natalia氏)
もちろん「誰もが使用できる男女別の休憩室」「ICカードによる入退出管理」などの旧オフィスで導入していた環境は、新オフィスでも同様の対応を行った。そして、こうした諸々の機能を備えることができ、「永田町グリッド」が誕生したのである。
「この物件の存在を知ったのは2016年3月、正式に契約したのは8月です。4月に申し込みを行ったのですが、実はその時点では社内の合意が済んでいませんでした。少しフライング気味でしたが、それほど私の中では『即決』だったのです」(佐別当氏)
「窓の数が多くて自然採光に優れているなど、建物の形状もイメージに近いものでしたが、何よりゼロから内装をつくり込んでいけるという魅力がありました。『永田町グリッド』の構想に対しては、社内には反対意見の方もいましたが、会社としてやるべき課題と信じて進めました。予算やスケジュールの制限もあり、しかたなくあきらめざるをえなかった部分もあります。そこで、全員が納得するような "丸い" ものではなく、少し"尖った" ものでもいいと考えていました。」(Natalia氏)
厳しい時間との戦いの中で、費用とデザインを見直した
移転先と正式に契約を交わした2016年8月から、移転完了予定日である2017年1月末まで、わずか半年足らずの時間しかない。この短期間に新たな拠点となる「永田町グリッド」のビル全体の構想を固め、内外装のデザインを決定させ、工事を完了させなければならない。
社内の移転プロジェクトチームは、リーダーの佐別当氏、ブランディング ディレクターのNatalia氏以下、総務部門やセキュリティ関係、LAN環境などのインフラ構築の担当者など総勢10名ほどの構成であった。それに不定期のメンバーとして、営業担当、イベント担当などそれぞれの責任者が参画した。「日本で一番シェアを体験できるビル」というコンセプトのもと、スケジュールを調整しながら懸命に作業を進めていたが、ここで思わぬトラブルに見舞われることになる。
「実は、4月から基本設計などを依頼していた会社があったのですが、進行の遅れに加えて、工事金額の見積り額が予想以上に膨らんでしまったのです。費用、デザインともに見直さざるをえなくなり、結果的に別のデザイン会社に依頼することになりました」(佐別当氏)
後任のデザイン会社が決定したのは9月中旬。デザイン全般を担当したNatalia氏も、かなり追い詰められた状況だった。
「前のデザイン会社との打合せの段階で基本設計はできていたのが幸いでした。細かい部分については相当やり直した部分はありましたが、無事4ヵ月弱で完成できました」(Natalia氏)
「もちろんスケジュールや費用面は厳しかったとは思うのですが、後任の会社はこちらの要望に対してのレスポンスも早く、『では、こうしましょう』『こういうやり方もありますよ』と具体的な提案までしてくれたのが印象的ですね」(Natalia氏)