- オンラインゲームのセカンダリーマーケットでトップシェアの座を狙う
- 増員と増床をくり返してきたが遂に限界。創業の地・銀座からの移転を検討する
- ダイレクトリクルーティングに繋がるオフィスづくりを意識
- コンセプトである"観光案内所"を具現化した3階の応接エリア
- 執務エリアは快適環境を提供するためにパーソナルスペースを広く確保した
- "人に暖かく、ハートは熱く、仕事はスマートに"を具現化
オンラインゲームのセカンダリーマーケットでトップシェアの座を狙う
2015年7月1日に創業9周年を迎えたマイネット(旧社名マイネット・ジャパン)の創業当初の主幹事業は、ソーシャルニュースサイト「newsing」の運営であった。その後、フューチャーフォン向けのモバイルサイト構築サービス「katy」に主幹事業をシフト。2012年以降は現在のスマートフォン向けオンラインゲームを主幹事業に、2015年7月現在13タイトルのゲームを提供。今後も積極的にタイトルを増やしていくという。
「現在の主力となる事業は、他のゲーム開発会社から買い取ったタイトルや、他社との提携により開拓したオンラインゲームの提供です。買収事業は2014年にスタートしました。これに伴い、過去に手がけていた『newsing』はサービス終了、『katy』はすでに売却しており、ゲーム一本に集中できる体制を整えました」(金田幸枝氏)
過去2回の事業転換では、サービスの内容やデバイスなどは一変しているが、創業から少しも変わらないものがある。
「『どこでもドアの実現』というのが当社のビジョンです。"どこでもドア"は皆さんご存知の通り、藤子・F・不二雄先生の『ドラえもん』に登場する"ひみつ道具"の一つですが、ネットとリアルの融合を通じて『会いたいときに会いたい人に会える社会』を実現する、という意味で使っています。すなわち、人と人とが繋がるサービスをオンラインで提供する仕事であり、これは創業以来一貫して当社の企業理念となっています」(金田氏)
ちなみに、時を経ても色あせない同社のカルチャーを以下に抜粋する。
クロスリスペクト
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イノベーションは多様な価値観の交わるところで生まれる。
職種や生き方に根ざした価値観を互いに尊敬しあえることがマイネットの風土。
仕事って楽しい
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仕事ってそもそも楽しいもの。
ビジョンを共有した仲間と役割を分担し、困難を乗り越え成長を実感しながら同じ船によって一つのゴールに向かう。それがマイネットにおける仕事。
驚きと喜びとわかりやすさ
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これからの価値はモノより体験。
マイネットはどこでもドアのような驚きと喜びとわかりやすさを味わえる体験を世の中に生み出していきます。
大事な人を大事にする
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人にとって最も大切なものは人。
マイネットのメンバーは家族、友人、仲間といった大事な人を大事にすることが人生の幸福だということを知っています。
100年続く会社
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マイネットは生まれたときから100年続く会社を志向しています。
メンバーは理念と経営方針を支柱にして、成長し続ける会社を作り続けています。
ソーシャルニュースサイトでは、ユーザー同士がネット上で出会い、掲示板を介して意見交換を行う。モバイルサイト構築サービスを使って飲食店や美容室などが店舗のモバイルサイトをつくり、"お店の人"と"お客様"とがリアルの世界で出会う。オンラインゲームの世界でユーザー同士が出会い、協力プレイをしたり、ゲームキャラクターのファンクラブサイトに参加したり、さまざまな形で交流する。
時代の変化やデバイスの進化に合わせて事業転換してきた同社だが、「人と人とが繋がるサービス」という意味では、少しも軸がぶれていない。
同社では、他社からのゲーム買取りを「ゲームのグロース事業」と呼び、その市場を「ゲームのセカンダリーマーケット」と称している。どちらも耳慣れない用語だが、前者はゲームの運営を同社が行うことでプラットフォームや課金システムの変更などにより収益を上げる事業を指す。また、後者は一般に「既に発行された株式や債券などの有価証券の取引市場」を指す金融用語として知られているが、ここでは「他社によって既にリリースされたゲームの取引市場」といった意味で使われている。
「このセカンダリーマーケットでのトップシェア獲得が当社の目標です。代表の上原は『市場の中で圧倒的No.1になる』と常々話しています。ゲームのセカンダリーマーケットは、2年後には年間売上1000億円規模に成長するものと見込まれており、今後は大手ゲーム会社の市場参入も予測されます。競争が激化する中でトップシェアを獲得するためには、もっと多くの仲間が必要です。だから採用活動には力を入れていますし、本社移転もその一環です」(仁木俊輔氏)
増員と増床をくり返してきたが遂に限界。創業の地・銀座からの移転を検討する
同社は、銀座8丁目の飲食店の上のフロアを借りて6名のメンバーで創業。1年後に社員が20名に増えて近隣のビルへ移る。同ビルではワンフロア面積50坪の広さからスタートし、増員と増床をくり返す。最終的には4フロア計230坪を使用していた。
「移転直前は物理的に限界に達し、その狭さは社内を普通に通れないほどでした」(金田氏)
このため、2014年夏頃から移転を検討するようになり、年末には本格的に計画がスタートする。移転先には同業他社の多い渋谷・六本木・恵比寿エリアなどが検討された。