株式会社ヤプリ

2018年4月取材

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※ 記事は過去の取材時のものであり、現在とは内容が異なる場合があります。

100名体制を目指す急成長企業が
成功させたスピード移転

プログラミング不要で、素早く高品質なスマホアプリを開発・運営できるプラットフォーム「Yappli(ヤプリ)」を提供する株式会社ヤプリ。2013年4月に旧社名ファストメディア株式会社として3名で創業した同社は、事業方針を転換した2015年後半から急成長を遂げ、2017年には現社名に変更。2018年1月に現在の本社オフィスへ移転した。今回の移転を機に、さらなる事業拡大を目指す同社のオフィス戦略についてお話を伺った。

角田 耕一 氏

株式会社ヤプリ
取締役CFO

角田 耕一 氏

原田 千亜紀 氏

株式会社ヤプリ
Marketing
Department
PR マーケティング部
広報

原田 千亜紀 氏

フリーエリア ソファ

フリーエリア ソファ

Contents

  1. ブラウザ上で簡単にアプリ制作ができるプラットフォーム「Yappli」
  2. 70坪の旧本社オフィスはまるでパズルゲームのようだった
  3. 物件決定から内装工事を経て入居まで、わずか3ヵ月弱のスピード移転
  4. 仕切りのない風通しの良い環境で、失われた本来の企業文化を取り戻す
  5. 100名体制を目指し採用強化と環境の充実を図る

1. ブラウザ上で簡単にアプリ制作ができるプラットフォーム「Yappli」

株式会社ヤプリは2013年4月、現代表取締役 庵原 保文氏ら3人の創業メンバーによって設立された。当時の社名はファストメディア株式会社。しかしメインプロダクトである「Yappli(ヤプリ)」の開発は、同社が会社として設立される2年ほど前からすでにスタートしており、名称決定はファストメディアの社名より先行していたという。

「ユーザーの皆様からも、『ファストメディア』ではなく『ヤプリ』として認知されていたこともあり、混乱を避けるという意味もあって、2017年4月に現社名の株式会社ヤプリに名称変更することになりました」(CFO角田 耕一 氏)

創業当初は、「プログラミングや専門知識は一切不要。ブラウザ上でドラッグ&ドロップして誰にでも手軽にスマートフォンアプリを制作できるプラットフォーム」として、 中小企業や個人をターゲットとするBtoC向けのサービスを展開していた。

「開発に時間をかけたこともあり、サービス開始当初から『Yappli』というプロダクト自体の完成度は高かったと思います。売り上げに反映されなかったのは、ターゲットのニーズにマッチしていなかったことが原因でした。中小企業や個人商店が独自にアプリを開発するには時期尚早だったのかもしれません。そこで、ターゲットを大手企業とするBtoB戦略に事業方針を転換することにいたしました」(広報 原田 千亜紀 氏)

この方針転換は見事に成功し、BtoB向けサービスにシフトしてからわずか半年後に同社は売上目標を達成。ターゲットのニーズを掴み、事業は徐々に軌道に乗り始めた。その後、2度にわたる大規模な第三者割当増資を実施し、2017年10月の2度目の増資に際して、現CFO(最高財務責任者)の角田氏が経営陣の一角に加わった。

「アプリが誕生して10年の節目である2017年の『iPhone X』リリースは、モバイルシフトの完了が近づいている事を象徴していると思っています。スマホネイティブ世代はPCでWebを使うことはほぼなく、インターネット利用の大部分は既にモバイルに移行し、UberやPokemon Goなどスマホアプリを前提とした数々のサービスが世界を席巻しています。こうした背景から、企業のモバイル戦略を成功に導くアプリ開発サービスとして『Yappli』というプラットフォームのニーズは、今後さらに拡大していくことが予想されています」(角田氏)

「ちなみに『Yappli』という名称の由来は、『Y』+『appli』です。プラットフォームの開発当時、代表の庵原ほか3名の創業メンバーがヤフー株式会社に在籍していたことからYahoo!の『Y』というふうに解釈されることもありますが、本来の意味は『あなたのアプリ=Your appli』です」(原田氏)

2. 70坪の旧本社オフィスはまるでパズルゲームのようだった

創業メンバー3名でスタートした同社は、設立直後はヤフー本社オフィス内の一室を間借りしていたが、やがて港区赤坂に約70坪の本社オフィスを構えて独立する。この旧本社オフィスに入居した時点では、社員数はわずか7~8名に過ぎず、フロア内はかなり余裕があったという。

「ところが、BtoBにシフトした頃からどんどん人が増えてきて、2017年の夏頃には、社員数は40名近くまで膨れ上がっていました。後期はまるでパズルゲームのように、席をずらしながら新しい人のスペースを組み合わせていたくらいです。4階の本社オフィスのほか、同じビルの7階にシェアオフィスを借りて、そちらはマーケィングチームの8名ほどが使用していました」(原田氏)

入居当初はフリースペースなどもふんだんに用意され、各自の固定席のほか、空いている場所を自由に使える環境だったが、徐々にフリースペースは潰されていく。また、来客用と社内用の会議室が2室しかなかったため、クローズドスペースの争奪戦が激化し、チーム単位のミーティングなどはビルの共有スペースや、外部のカフェなどを利用することが常態化していたという。

「お客様が来社されても、場所がないため、給湯室やエントランスのソファで商談するようなありさまでした。これでは周囲の目も気になりますし、セキュリティ面でも機密保持に不安があります。また、7階に席のあるマーケティングチームは離れ小島になってしまい、社内の情報共有やコミュニケーションの面が不十分になっていました」(原田氏)

小会議室

小会議室

大会議室

大会議室

3. 物件決定から内装工事を経て入居までわずか3カ月弱のスピード移転

今回の移転プロジェクトを担当した角田氏は新卒で外資系投資銀行に入社し、M&A関連業務に従事していた。その後、ベンチャー企業数社のスタートアップに携わり、前職ではCFOとして主に財務、資金調達、法務、総務関連業務を担当していたという経歴の持ち主である。本人によれば「小規模なオフィス移転は過去に4~5回経験しており、要領は何となくわかっていた」という。

「不動産会社の知り合いもいましたし、物件選定や内装などは少しやったことはありました。ただ10月の段階で、何一つ決まっておらず、その中で『できれば年内。遅くとも1月末までに』というスケジュールでしたので、正直かなり大変でした」(角田氏)

角田氏の入社時点で社員数は50名に迫っており、収容人数はとうに限界に達していた。しかも、旧本社オフィスの賃借契約期間の関係から、二重賃料が発生することは極力避けねばならない。文字通り、待ったなしの状態であったという。角田氏は直ちに移転先候補の検討に取りかかった。

「移転先エリアとしては、渋谷区から港区の恵比寿・青山・六本木あたりを候補に考えていました。庵原からは『社員の通勤を考えるとできるだけ西側のエリア』など、要望も聞かされました。賃料も含めて条件を絞り7~8カ所ほど内見しましたが、最終的に旧本社オフィスの入っていたビルのすぐ隣に手頃な空き物件があったので、こちらに決定しました。赤坂という立地にこだわりはありませんでしたが、通勤や顧客先への交通の利便性も考えて、常に候補としては念頭にありました」(角田氏)

新本社オフィスが入るビルは東京メトロ・赤坂駅の直上にあり、アクセス面でも申し分なかった。やや築年数は経過していたものの、その分賃料も手頃で、同社の条件にマッチしていたという。

「とにかく明るいオフィスにしたい、という思いが第一にありました。ここは、足元まである広い窓面で採光も良く、窓際のフリースペースなど、昼間は照明の必要もないくらいです。面積は約130坪と旧本社オフィスの約2倍の広さになり、離れていたマーケティングチームもワンフロア内に机を並べることができるようになりました」(原田氏)

時間のない中で、移転計画は最大限効率を重視して同時並行で進められた。新本社オフィスの内装工事は、移転先の決定以前に複数社によるコンペを実施していた。さらに、着工後も、一方でB工事を進めながら、他方ではC工事の詳細を詰めていく、というギリギリの進行であったという。

「物件が決まったのは10月末で、工事に着工したのは11月後半に入ってからです。庵原から聞かされていたオフィスイメージは『アメリカ西海岸のサーフスタイル。マリブっぽい感じ、ジェームス・パース風』。内装業者にはそのまま伝えました」(角田氏)

角田氏自身も苦笑するように、デザイン案としては観念的なイメージであったかもしれないが、内装業者はうまくニュアンスを汲み取ってくれた。庵原代表にせよ、それほど強いこだわりがあったわけではないだろうと角田氏は理解している。全体的なバランスも含めて、細部にはいくつか注文をつけたものの、悩みに悩んだ甲斐があって、おおむねイメージ通りのデザインに仕上がったという。

「社員には、12月上旬には『年をまたいでオフィス移転を実施します』と発表していました。ただし、1月22日という移転日を社員に自信を持って伝えることができたのは、年末最後の納会の日になってからでしたね」(角田氏)

完成した新本社オフィスは、来客用を含めてクローズドの会議室4室に加え、社内用として随所にオープンミーティングスペースが設けられた。執務エリアの固定席とともに、フリースペースでも 自由に仕事ができる環境を取り戻すことができた。(写真:中会議室)

「固定席のレイアウトも直線的な並びではなく、オフィス内の移動時に偶発的なコミュニケーションが生まれる仕掛けになっています。今まであまり接点のなかった社員同士が会話する機会ができ、コミュニケーション環境も改善されたと思います」(原田氏)

エントランス

エントランス

フリーエリア ハンモック

フリーエリア ハンモック

4. 仕切りのない風通しの良い環境で失われた本来の企業文化を取り戻す

移転完了から3ヵ月弱の間に同社の社員数はさらに増えており、本取材の時点(2018年4月20日現在)で70名を超えた。今後もさらに増員予定であるという。

「何しろ時間もなかったので、移転に際しては事前に社内から意見や要望を集めるようなことはしていません。ただし、内装業者さんからCGパースが上がってくるたびに、周囲のメンバーに見せて意見を聞いたりすることはありました。また、デザインがある程度固まってくると、順次社内で公開して『こんな風になるんだよ』ということは告知していました。皆、『おお、すごい』というような反応がありましたね」(原田氏)

フリースペースの復活と、それに伴う仕事の場所を自由に選べる環境は、会社によっては移転を機に新たなルールを定めなければ運用しづらくなる変化であった。同社の場合、むしろ「本来の状態に戻った」というべき状況であったため、運用面においても特にとまどうことなくすんなり移行することができたという。ペーパーレス化などについても、もともと紙にプリントアウトすることはほとんどないという企業文化が確立されていたからだ。

「旧本社後半のフリースペースがなかった頃でも、執務エリアが暑ければエントランスで仕事をしたり、業務によっては気分転換で社外に出て仕事したりすることができました。新本社に移ってからは、オフィス内で場所を変えることもできますし、フリースペースの什器類は簡単に動かすことができるので、汎用性の高い使い勝手の良いオフィスになったと思います」(原田氏)

新本社オフィスはガラス張りのエントランスからオフィス内の様子が見渡せるため、来客からも「きれいになりましたね」などの誉め言葉をかけられるようになったという。

「風通しのいいオフィスづくりが当初からの狙いでした。そのため極力仕切りをつくらず、フロアの隅々まで見渡せるレイアウトになっています。来客のお客様からもご好評をいただいておりますが、対外的な見栄えよりも社内に重きを置き、内部の人間が働きやすい環境づくりを心がけました。その結果、社員たちからは『話しやすくなった』『会話が生まれるようになった』などの声が聞かれています」(角田氏)

執務室全景

執務室全景

中会議室

中会議室

フリーエリア ファミレス

フリーエリア ファミレス

5. 100名体制を目指し採用強化と環境の充実を図る

現在は70名超の社員数だが、同社は2018年中に100名程度までの拡大を目指すという。増員計画に欠かせない採用面接についても、新本社オフィスに用意された会議室が活用されている。従来は、部屋が取れないために1日に行える面接回数に限りがあり、日程をずらさなければならなかったため、それが採用の機会損失にもつながっていた。それが解消された今、面接そのものも増えているという。

「『Yappli』にしても、まだまだサービス拡張の余地があるものと思っております。従来はアパレルブランドのECや小売業のO2Oなどに活用されるアプリのイメージが先行しがちですが、最近では教育機関や金融機関などでも活用が進んでおり、従来の販促活動を越えた様々な用途で活用いただけるプラットフォームになってきております。今後は、さらに機能を追加していく予定です」(角田氏)

将来的には、ビッグデータを活用したレコメンデーション(おすすめ)など、より効果的な利用方法も視野に入れている。すでに展開しているプロダクトも順調に進捗しているが、社内の開発環境をさらに強化していく必要がある。

「今後もさらなる事業拡大を目指していく上で、採用面の強化と社員が働くための環境を整備していかなければなりません。今回の移転は、そのための重要な第一歩と考えております」(角田氏)

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