堀商店(堀ビル)

オフィスマーケット 2000年11月号掲載

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※ 記事は過去の取材時のものであり、現在とは内容が異なる場合があります。

建築金物の老舗、合資会社堀商店は、今でも1932年に竣工した本社ビルを使用。交差点に向けられた曲面の正面玄関は重厚で独特の趣があり、1989年には東京都の「選定歴史的建造物」に選ばれた。その後「登録有形文化財」にもなり、歴史的建造物の保護についてヒントを与えてくれるビルである。

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優れた商業建築――昭和初期様式に宿るポリシー

合資会社 堀商店
相談役

松本次郎(まつもと・じろう)

創業百十年を迎えた合資会社堀商店は、鍵と錠前を中心として美麗な装飾を施した建築金物を扱う老舗である。東京都港区の外堀通りに面した鉄筋コンクリート造、地上4階・地下1階建の瀟洒な建物がその本社ビルだ。

竣工は昭和7年12月。今も現役で活躍するこの建物は、昭和初期に多く見られた折衷様式オフィスビル建築の典型とされる。

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正面の石段は地盤沈下のため、あとから作られた

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外堀通りとレンガ通りの交差点に位置する正面外観はゆるやかな曲面を描き、青銅製の両開き扉が格調高い趣で来訪者を静かに迎え入れてくれる。外壁はひっかきキズをつけたスクラッチタイル貼り。はるばる英国から海を渡ってきたというタイルの色調が、年輪と洗練をともに重ねた紳士の面影を彷佛とさせる。当時の建物の特長として各階の窓上部と窓台の連続が水平のラインを強調する一方、西隅部に設けられた階段室から塔屋まで伸びる垂直線が全体の構成を引き締めている。
垂直ラインの縦窓には異国情緒を感じさせるサラセン風のテラコッタが飾り、水平ラインを小アーチ(ロンバルド・バンド)とカギや植物をモチーフにしたレリーフが彩る。同社の相談役である松本次郎氏の直話によると、こうした意匠の選定は施主である二代目社長の意思が強くはたらいたものだという。モダニズムと中世風の表現が混在し、ともすれば雑然としがちな折衷様式ではあるが、堀ビルにおいては、こうした意匠の競演がむしろ優美な安定感を醸し出す効果をあげているようだ。
設計は公保敏男、施工は安藤組(現安藤建設)と伝えられてきた同ビルだが、いくつかの証言によって、実際の設計者は国会議事堂設計チームの中心であり神宮外苑の絵画館なども手がけた小林正紹であったという説が有力視されるようになったという。

「姓は違いますが、公保氏は小林氏の実弟にあたります。小林氏は大蔵省の官吏(技師)という立場でしたから、民間の建物を設計する際には公保氏の名義にしたり、お二人で共同ということにされたり......そういった配慮があったのではないでしょうか」

これをきっかけに「民間建築物における小林正紹の仕事」といった研究が進むことを期待したいところだ。いずれにせよ周囲の高層化が進む新橋周辺で、堀ビルが往年の姿をほぼそのまま残しているのは貴重な事例である。わが国の近代建築と共に歩んできた堀商店の「建築」に対するポリシーは、自らのシンボルである名建築と共に、新しい時代の建築に貢献する技術の数々を永く後世に伝えてくれることだろう。

着工前後から竣工まで ―― 歴史と世相

昭和5年(1930) 2月.太陽系9番目惑星「冥王星」が発見される。
月.サッカーの第1回ワールドカップ大会が開催される。
同年前後.堀商店本社ビル着工。
昭和6年(1933) 5月.エンパイアステートビルが完成。
9月.上越線「清水トンネル(全長9702m)」開通。
昭和7年(1932) 5月.海軍の青年将校らによるクーデター未遂(5.15事件)。
イギリスの物理学者J・キャドウィックが中性子を発見。
12月.堀ビル竣工。

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2階の一室にある資料室。世界各地の手作りのカギが並んでいる

景観全体の保全――市民・行政のパートナーシップ確立を目指して

数年前より東京都は「建築物単体の保存のみならず都市の景観全体を保全する」という観点に立って都市景観の保全に関する施策を見直してきた。平成元年度に堀ビルを「東京都選定歴史的建造物」に選定。8年度には外壁や窓枠などの補修工事に対する助成を行った。現役の商業ビルである以上、内装などが変化してきたことは避けられないが、補修によって外壁のスクラッチタイル、レリーフ装飾などは、ほぼ建築時の状態で保存された。

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外壁のレリーフ。植物の芽をイメージしている

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1階店鋪の床は竣工当時のモザイクタイルが使われている

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1階店鋪の照明器具。 竣工当時のものが今でも使われている

その後、東京都は景観条例を制定・施行(平成9年)し、これに基づく景観審議会の設置、都選定歴史的建造物に関する手続きなどを進めている。堀ビルの場合、条例施行と前後して国の登録有形文化財となり、都の選定からは外れたが、どちらの制度も歴史的建造物を保存し、美しい都市の景観を保全しようという趣旨は一致している。

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外堀通りに面した堀商店全景。全体に丸味をおびているのが特長だ

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竣工時のまま使われている塔屋。 当時は高い建物がなかったため、火の見やぐら的に使用されていた

文化庁が管轄する国の「登録有形文化財」と、都条例による「都選定歴史的建造物」では、制度面で微妙な違いがある。保存・活用のための補助は、前者が「設計監理費の50%(要件あり)」、後者が「保存工事費の2分の1(要件あり、予算の範囲内)」。一方、敷地の地価税・家屋の固定資産税を対象とした税制優遇は「登録有形文化財」のみが受けられる措置である。立地にもよるだろうが、名建築の所有者にとって「登録有形文化財」がベターな選択となるケースも多いだろう。
いずれにしても、パリやボストンなど海外の都市に比べ、日本の制度はまだまだ不十分。これからは実効性のある強力な制度の検討や、国や自治体と連携した市民意識の高まりが必要とされるだろう。なぜならば土地や建物の所有にかかる個人・事業者の一致した協力なしには、都市景観全体の保全は不可能なことだからだ。
今年5月に東京都景観審議会が答申した「歴史的景観保全の指針」は、歴史的な建物の見え方が周辺の建造物の影響を強く受けることを指摘している。翻って見れば、堀ビルの建つ外堀通りの景観もまた例外ではなかった。
現在「選定歴史的建造物」は、建築物を中心に水門・橋梁等を含む36件。「歴史的景観保全の指針」に示された「都民・事業者」「区市町村」「都」三者の連携・協働というあり方が、ひとまず具体的にどのような成果へと結実していくかを見守りたい。

*東京都選定歴史的建造物とは
東京都は、景観づくりを総合的・計画的に進めることを目的として、
平成9年12月に東京都景観条例を制定。その条例に基づいて、景観審議会が選定すべきとして答申した景観上重要な建造物のうち、所有者の同意を得たものを選定している。ただし、重要文化財、登録有形文化財、都及び区市町村が指定した文化財は除かれる。

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