明治生命館

オフィスマーケット 2000年3月号掲載

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記事は過去の取材時のものであり、現在とは内容が異なる場合があります。

1934年に竣工した「明治生命館」は1997年に国の重要文化財となった。近代のオフィスビルとしては初めてのことである。
皇居馬場先門に面した建物はコリント様式の列柱が存在感を持ち、美しさに定評がある。所有者である明治生命保険相互会社は歴史的な価値を考えて「全館保存」を決めた。その所有者の英断は高く評価される。

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様式建築の最高峰――街の風格を守り活性化に寄与する

「明治生命保険相互会社本社本館」(明治生命館、東京都千代田区、昭和9年建設)が、国の重要文化財として指定を受けたのは平成9年。近代の大型オフィスビルとして、また昭和の建造物として初めてのことである。文化財保護に関する近年の傾向を受けて、"保護"と"活用"という観点から、指定後も従来通りの使用が続けられ、一方で休日を利用した一般公開も実施している。
同館が竣工した昭和9年といえば、日本が世界を相手にした戦争への道を急傾斜していた時期であった。その後の歴史の流れを考えてみるならば、この華麗な建物が現在までその威容を保っていること自体が稀有なことがらといえる。
皇居馬場先門に面したネオ・ルネッサンス様式の建物は、地下二階・地上八階の鉄骨鉄筋コンクリート造り。花崗岩の外壁にアカンサス草の装飾をちりばめた美しい姿を皇居の壕に映し出している。店頭営業室となっている一階フロアに足を踏み入れると、大理石を用いた元禄模様の床、吹き抜けの大空間が印象的である。
建築技法的要素ばかりでなく、明治生命館は、当時の最先端を行くインテリジェントビルでもあった。

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エアシューター(書類気送装置)やダイナモメーター付の電気時計、災害時に備えた自家発電設備、消防署直結の火災報知装置、外壁をライトアップする街灯の自動点灯装置などが整備されていたという。
現在、丸の内周辺地区からは、明治・大正期の建物は完全に失われ、明治生命館を始めとする昭和初期建築物もごくわずかな例を残すに過ぎない。
明治生命保険相互会社では「私共がこの建物の全館保存を決めたのも、歴史的建築物の保存と活用という文化財保護の新たな観点に立ち、それを自ら実践することで、丸の内一帯の風格ある景観を守り、街の新たな活性化へ向けて貢献したいと考えたからなのです」と説明する。
同館の建設に携わった竹中工務店が昭和44年に発行した社史には「(このビルは)今日でも、なお最高の技術水準を誇っている」と記されているそうだ。その昭和40年代前後に建設された多くのオフィスビルが没個性な外容であり、しかも、すでにして老朽化の波に喘いでいることを思うと、明治生命館の存在は今後の「建築」のあり方を考える上でも大きな意義を持つ。
歴史的価値と様式・技術的価値を兼ね備えたこの建物を逸早く"重要文化財"とした国と所有者双方の英断は、その意味からも高く評価されるべきだろう。

保存と活用――近代の文化遺産を後世に引き継ぐ

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わが国における文化財保護に関する法整備は、戦前の「古社寺保存法」「国宝保存法」をもとに昭和25年に「文化財

保護法」が制定され、昭和50年に改定で伝統的建造物群制度が加えられ、さらに平成8年改正で「文化財登録制度」の創設へと発展してきている。

その中で、近代以降の建造物を文化財として国が保護する機運が高まったのは、昭和30年代後半からのことだという。「明治100年」を契機として、江戸末期から明治初期にかけて建設されたものを中心に重要文化財の指定が進められていった。
やがて、大正・昭和初期の建築物をも対象にしたリスト作成が進んだことを受けてしだいに文化財に対する評価の視点や保護の手法に変化が起こってきた。具体的には、文化財保護の手法として「"保存"とともに"活用"」が重視されるようになったのである。
文化財保護法の「国宝及び重要文化財指定基準(建造物の部)」には重要文化財の指定条件として、次のいずれかに該当し、かつ各時代又は類型の典型となるものとある。「一、意匠的に優秀なもの/二、技術的に優秀なもの/三、歴史的価値の高いもの/四、学術的価値の高いもの/五、流派又は地方的特色において顕著なもの」。
実際には、文部大臣が審議会の審議を経て指定する流れ。指定後は、建物の現状を変更する際に文化庁の許可が必要になるが、新しい価値の創出を含めた積極的な活用が妨げられるわけでは決してない。
一方、築後50年以上の建造物を対象に「ゆるやかな保存」を図るという文化財登録制度は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」「造形の規範となっているもの」「再現することが容易でないもの」が基準。
登録すれば、現況のままそれぞれの用途に活用しながら「保護」するための優遇措置が受けられる。現状の変更に関しては届出制で、禁止事項は特に設けられていないという。
文化庁文化財保護部建造物課の文化財調査官 上野勝久氏は「現在、神社・仏閣といった近代以前の建造物保存がようやく一段落しつつある。今後は、社会や生活空間の中に溶け込んだ歴史的建造物の保存も重要なテーマとなります。欧米の事例などにも学び、建造物を社会の中で活かしながら保護するあり方を摸索していきたいですね」と語る。
確かに、特定の建造物のみならず美しい街並みを丸ごと保全するような欧米の事例は、わが国の文化財保護にも多くの示唆を与えてくれることだろう。官民が協力しあって建造物・景観を「文化」として保護する――そんなあり方が、次の世紀に向けていっそうの広がりを見せることに期待したい。

着工前後から竣工まで ―― 歴史と世相

昭和5年 (1930) ・8月、明治生命館着工。
昭和6年 (1931) ・満州事変勃発。
・ニューヨークに102階建てのエンパイアステートビルが完成。
昭和7年 (1932) ・満州国建国が宣言される。5・15事件が起こる。
・この年「大日本国防婦人会」が結成される。
昭和8年 (1933) ・ドイツでヒトラー政権が誕生する。
・アメリカで映画「キング・コング」が公開される。
昭和9年 (1934) 3月、明治生命館竣工。

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美しい曲面を備えた天井が印象的な二階回廊。柱頭部の装飾部分に横長の彫刻を配すことで、均整のとれたプロポーションを保っている

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建物内部から見た玄関扉。アーチ型採光窓のアカンサス模様が美しい

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吹き抜けになっている一階営業店頭の柱と天井。ここにも、装飾モチーフとしてアカンサスの花模様がちりばめられている

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エンタシスが荘厳さを醸し出すコリント様式の列柱。柱頭に彫刻されたアカンサスの葉模様が当時の技術を今に伝える

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二階第一会議室全体

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二階第一会議室。第二次大戦終結後のアメリカ極東空軍司令部による接収時代は、対日理事会の会議が連日行われた。

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一階応接室の一つ。竣工当時は、椅子・テーブルなど什器類の端々にも設計者である岡田信一郎氏の意思が反映されていた

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改装された七階会議室。以前は五四一名を収容できる講堂として機能していたという

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