日本銀行本店本館

オフィスマーケット 2001年1月号掲載

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※ 記事は過去の取材時のものであり、現在とは内容が異なる場合があります。

1882年に開業した日本銀行は、1896年に「日本銀行本店本館」を竣工させた。強いネオ・バロック様式の構造だが、壁面にはルネサンス様式の意匠を使用。1974年に国の重要文化財に指定されるなど近代建築の代表作と名高い。素材へのこだわりや国の威信をかけた工事について紹介する。

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先駆者の苦闘――日本人の手に成る近代西洋建築

日本銀行は明治15年(1882)に隅田川に架かる永代橋の袂で開業した。
後、日本橋の金座跡地(現・本石町)に新店舗建設が計画され、明治23年(1890)9月より7年の歳月をかけて明治29年(1896)2月に現在の日本銀行本店本館の建物が竣工する。建築設計を指揮したのは工部大学校造家学科(現東京大学工学部)教授の辰野金吾。後に手がけた赤煉瓦の東京駅でも知られる、わが国近代西洋建築設計の先駆者である。
本館の建物は地上3階、地下1階(延床面積約1100平方メートル)。1階部分はほぼ完全な石造りで、2~3階部分は煉瓦を素材として外側に薄く裁断した花崗岩を貼り付けてある。中央にドームを据え、正面に4本、左右両翼に各2本ずつの列柱を配置。構成的には装飾味の強いネオ・バロック建築様式だが、壁面などを中心にルネサンス様式の意匠が採り入れられており、これが全体を覆う「石」の重厚なイメージとあいまって、この建物の特色を形づくると同時に微かな違和感を抱かせる原因ともなっている。中央銀行の建物として当時最新だったベルギーのそれを模したともいわれているが、実際には参考にした程度だったようだ。
正面玄関の上部には、六個の千両箱を踏まえて咆哮する二匹の雄獅子が日本銀行のマークを抱えた青銅製のエンブレムがある。辰野が日本銀行設計の依頼を受けて欧米を視察した折に、こうした紋章飾りが宮殿や寺院に多く使われていることを知り、早速これを採り入れたのだろう。
だが、獅子と千両箱 ――この奇妙な取り合わせが象徴する通り、この建物にはアンバランスな香りが漂っている。

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正面玄関を飾るエンブレム

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西洋の様式建築を日本の中央銀行本店として成立させようとする建築家の、そしてまた、先進列強を追う若き日本という国家そのものの苦悩がここに体現されているからなのかもしれない。
建築分野におけるわが国初の国家的プロジェクトにふさわしく、当時の最先端技術の導入も随所に見られる。当初は総石造とする計画だったが、工事開始後に岐阜で起こった震災被害に学び、2階部分をレンガ造り、3階部分を穴あきレンガにコンクリート流し込みとする工法が導入された。上層部を軽量化することで高い耐震性を実現するとともに、レンガに石板を貼ることで建物全体の一体感を維持している。また、それに伴って、セメントの品質管理が徹底して行われた。辰野が設計し、英国のクラーク・バーネット社に製造を依頼した日本初の「畳込防火鉄戸」(鋼製シャッター)。日本で2番目に造られたといわれるエレベーター。体系的な空調設備に加えて、トイレは当初より水洗式を採用。この建物の評価にあたっては、芸術的価値のみならず、こうした歴史的・産業史的な価値にも多くの目が向けられるべきだろう。
日本銀行本店本館は、近代建築としてはいち早く昭和49年(1974)に国の重要文化財に指定された。いわゆる「御雇外国人(幕末~明治初期に西洋の先進文化を移入するため政府や民間が雇用した指導役)の手に成る洋風建築」と離れて成立したわが国の近代西洋建築の維持・保存に先鞭をつける事例として、日本銀行本店本館の重要文化財指定は大きな意味を持つものであった。

memory_nihon-bank_04_linetouka.jpg着工前後から竣工まで ―― 歴史と世相

明治15年(1882) 3月.ドイツの医師コッホが結核の細菌感染説を発表する。
5月.ドイツ・オーストリア・イタリア三国同盟が成立する。
6月.日本銀行条例公布(10月、日本銀行開業)。
明治23年(1890) 9月.旧金座跡地に日本銀行の新店舗を着工。
11月.東京日比谷に帝国議会議事堂が完成、第1回帝国議会が開催される。
この年、シカゴでウェンライトビル(アメリカ機能主義建築の先駆)着工。
明治29年(1930) 2月.日本銀行本店本館竣工。
4月.日本銀行本店が現在地に移転開業。
4月.近代オリンピックの第1回大会がアテネで開催される。

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中央ドームの真下にあたる八角形の天井。かつては咲きこぼれる花弁をイメージしたシャンデリアがここに吊るされていた

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繊細な彫刻が施されたドアの金具。再現不可能のため、 後に補修された部分からはそれが失われている

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中庭に設置された給水栓。かつては馬車をひく馬の休息用に使用された

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天井に近い壁面に施されたレリーフ。製作は職人の手作業によった

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日本銀行本店本館の全景。後方に10階建ての新館が見える

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同・西側からの眺望。 長野宇平治による東館と本館が違和感なく連続している

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柱の頂部を飾る彫刻。内部の意匠からも設計者の試行錯誤が感じられる

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中央ドーム下の部屋。第二次大戦当時の総裁・結城豊太郎(15代)の 執務室を再現している

日本銀行 情報サービス局
副調査役

武田 孝(たけだ・よしたか)

日本経済発展の礎として――建設にまつわるエピソード

西南戦争の戦費調達に端を発した不換紙幣乱造によるインフレを打開するため、明治14年(1881)に正規の銀行券を発行する中央銀行の設立が提議された。これに基づいて翌年6月、ベルギーの国立銀行の条例を典拠とする「日本銀行条例」が制定され、同年10月10日より日本銀行が開業する。当初は旧北海道開拓使物産売捌所の建物を店鋪としたが、何より手狭であり、立地的にも利便性が低いとの判断から、開業後10年を経ずして新店舗の建設が計画されることとなった。設計建築の責任者となった辰野金吾は、自分が教授を務める工部大学校造家学科出身者をはじめ新進気鋭の若手建築家を積極的に起用して事にあたった。当時の総裁である川田小一郎(第3代)は、この建物が日本銀行――ひいては日本経済の永久拠点となるとの考えから「堅牢にして宏壮なものを造るように」と指示したといわれている。

「川田総裁は当時の金融・経済界で『法王』と呼ばれたほどワンマンな人柄だったそうですが、中央銀行の威信というより、むしろ将来の日本経済全体の発展を意図してそうした指示を出されたのでしょう」

また、本館建設にあたっては、着工まもない明治25年(1892)に日銀入りした高橋是清(明治32年副総裁、同44年第7代総裁、後、蔵相、首相を歴任)のエピソードが多く伝わると武田氏は語ってくれた。
設計者の辰野が瀬戸内海の北木島から取り寄せた花崗岩は非常に硬いもので、1階部分の工事は予定の工期より大幅に遅延する難航を示した。折しも起こった岐阜の地震被害の結果にも鑑み、辰野は2~3階部分をレンガ造りとするよう設計を変更する。ところが、行き違いから報告を受けないでいた川田総裁はこれを知ると「総石造りとして承認を得たのに、株主たちに対して申し訳が立たぬ」と激昂した。そこで苦肉の策として高橋が「花崗岩を薄く切って煉瓦の上に貼り付ける」というアイデアを出したのだという。これが結果的には建物の堅牢性をより高めることとなった。

「さらに、進捗状況が芳しくないと見ると、仕事を依頼した石工の親方4人を東西南北それぞれに振り分けて『最も早くできた組には1万円の報奨金を出す』と競争させたそうです」

素材を石としたことも、着工から竣工まで7年もの歳月が費やされた理由の一つであったといえる。工費は当時の金額にして約112万円。開業当時の新聞は「古来未曾有の大建築であるだけでなく、銀行としては世界に類を見ない完全な建築であり、その宏壮さは東洋一と称しても過言ではない」(明治29年4月『時事新報』)と報道した。
こうして完成した日本銀行本館は文字通りわが国経済の発展とともに歩み、大きな歴史的意義を今に伝えている。関東大震災に際しては周辺からの飛び火により一部被災したが、建物本体に大きな被害はなかった。また、昭和初期の増改築には辰野の愛弟子である長野宇平治があたり、師の作品である本館部分と巧みに連続する違和感のない意匠を見事に実現している。

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日本銀行第7代総裁
高橋是清(たかはし これきよ)

1854(安政1)年~1936(昭和11)年
1867:仙台藩の留学生として渡米
1892:日本銀行入行
1911:日本銀行総裁就任
1913:初の蔵相就任(以降、六度就任)
1921:首相就任

文:歴史作家 吉田茂

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